閉鎖病棟のエレベータ

 今朝、テレビ朝日のワイドショーで、覚せい剤とかの薬物依存症患者を治療する閉鎖病棟のレポートをやってたの。それで、レポーターの所太郎がね、エレベータ乗っててね、それで、目的の階に着いてね、エレベータのドアが開くわけ。開くと、目の前にはシャッターが下りてたわけ。エレベータのドアが開いて、目の前にシャッター。
 これ見てて、なんかこう、「やられた」みたいに思ったの。「そうきたか」と。なにがどうやられたのか、よくわかんないけど、たぶん、知識と想像力。開いてみたらシャッターが下りているという、まあまったく予想できなかった光景。でも、想像してみたら想像できたかもしれない光景、そこんところが、実に変な話だけれども、悔しいというか、なんというか。自傷防止のやわらかい壁、とかは知ってたぜ。
 で、所太郎は、ガシャンガシャンって、シャッターをノックして開けてもらおうとするの。でも、エレベータはエレベータだから、閉まろうとして、あたふたになってんだな。となると、これが、この階への出入りに慣れている医師や看護師だったら、「開」ボタンを右手で押しっぱなしにしながら、半身乗り出してノックしたりとかするんだろうな。あるいは、足でエレベータのドアをストップして、ノックする。ノックもノックで、部外者でないことを示すために、ガシャガシャ、ガッシャとか、なんらかの符号があるかもしれないな。もっとも、いちいち内側からノックというのも面倒そうだし、今回所太郎がひっかかったのは、テレビ的な演出であるという可能性もあるんだけれども。
 まあ、ともかく、手慣れた感じでエレベータ→シャッターの通過を描けば、そこに慣れた人だという描写になりそうだ。だったら、部外者がここに初めて来て、パッとエレベータのドアが開いたらシャッターだった、という非日常的な光景というのは、なにか物語の始まりとしては悪くないかもしれない。日常と非日常の隔離、あるいはある世界の拒絶、みたいな。
 で、出る時の慣れの所作といえば、たとえばこの場所を前もって知っている人が知らないふりをしているのに、ついついやってしまって露見する、みたいな話もあるだろう。ついつい、右手「開」ボタンや足ストッパの所作をしてしまう。それを、主人公は怪しむわけだ。
 あと、たとえば、主人公が絶体絶命でエレベータに乗るわけ。そこで、間一髪でドアが開いて、というところで、本来はなんらかの理由で開いているはずのシャッターが下りていて絶望的になる、というのもあるだろう。まあ、エレベータの中で犯人的なものと一対一という時点でアウトか。なにか魔女的なものがエレベータ空間を登ってくるか? でも、主人公なら、間一髪の危機一髮で向こうからシャッターが上がって助かったりするんだな。
 開けたのは所太郎、ではなく、やっぱりエレベータの所作で主人公に怪しまれたやつがいいだろう。彼がターゲットだと思わせておく、そういうミスリード。でも、実は味方だったんだな。振りをしていたわけだ、なんかその、たとえば患者の振りをした犯人的なもの。とすると、犯人は医者だったりするのが定番といえるだろう。
 
 ……いったい、なんの主人公で、なんの犯人だというのか?
 まあ、よくわからんが、だいたい俺は四六時中こんな想像というか妄想ばかりしていて、脳内でチープな2時間ドラマみたいなのを組み立てては放り捨てたりして、日々生きているのでした。おしまい。