おれが客の来ない飲食店のことを考えるとき考えること


 客のいない飲食店を見ているとぞくぞくする。どのようなぞくぞくかといえば、メキシコで麻薬マフィアが逆さ吊りにした男の性器を切り取ったあとに首を切って殺す動画(※リンク先グロ注意)を見るときに、切り身になってるのにまな板の上で大暴れするサメ肉(※リンク先グロ注意)みたいになっている吊された男のことを思うときのそれに近い。
 いや、それより「も」かもしれない、残酷さにおののく。なにせ、逆さ吊りにした男にしても死ぬのは一瞬だからだ。一方で、飲食店のそれは緩慢な殺人だ。
 殺人? というと言いすぎかもしれない。たんに、店に客が来ない。店は潰れる。店をやっていた人間は……どこかに行ってしまう。死ぬとは限らない。ただ、それにしても、やはり死に向かっておいやられているもの、に見える。
 自死ではないのだな。言うなれば、その店を見殺しにしているのは、そこを素通りする、他でもないおれなのだ。おれが殺しているのだ。いちいちそれを「殺し」と言っていてはきりがないし、このおれも社会も成立しないのはわかっている。わかっているが、やはりおれはそこに「殺し」を見出して……サディスティック、あるいはマゾヒスティックにぞくぞくするのだ。
 想像してみよう、店の開店資金、内装工事費、日々の仕入れ、仕入れた食材の消費期限、しかし入ってこない客、素通りする人々、めしどきなのに、金曜の夜なのに……。
 おそろしい。ほとんど狂気の世界である。この狂気にひとびとがどれだけ耐えられるのだろうか。ああ、だからこそ、あの殺人ユッケ、ゴミおせち、トマトが切れれば、メシ屋はできる 栓が抜ければ、飲み屋ができるとかいう、そういう言った異様なノリが飲食店業界にはびこるのだろう。あるいは、マクドナルドのようなマシーンとシステムの世界。
 などと想像するおれが異様に悲観的で失敗と敗北、あるいは虚栄と悪ばかりしか目に入らない、目に入れようとしない人間であることを忘れてはいけない。おれの色眼鏡は光を通さない。そういえば、つぶれそうな店もつぶれずに延々と営業しているし、人の入っているように見えない新しいあそこのバーも、すぐに店を畳むというようすもない。なにかしら、うまくやっているのだろう。なにかしら、知らないが。
 ただ、ある日、とつぜんシャッターに貼り紙、「貸店舖」の三文字が入った不動産屋のプラスチック看板、そんな光景も見ないわけではない。それを見るとおれはメキシコマフィアに殺されて転がされている生首の写真(※リンク先グロ注意)を見たような気になるのだ。
 ……まあ、飲食店や外向きの店舗はその死に様をたまたま人目にさらしているというだけであって、世の中のいろいろの会社や人間は日々殺され、死んでいく。おれも今このとき、逆さ吊りになって目隠しをされているところかもしれない。その確率は低くないと思うが、さておれはサメ肉のように暴れる元気があるだろうか? よう、あんたはどうなんだ?