誰でも(マ・ドンソクでも)よかった通り魔の末期-映画『悪人伝』

 

悪人伝(字幕版)

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  • マ・ドンソク
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悪人伝(吹替版)

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  • マ・ドンソク
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よく、無差別殺人、通り魔事件の供述で「誰でもよかった」というものがある。それに対して、「誰でもというのに、女性や子供など無力なものを狙っているのはおかしい」という声もある。しかし、おれは思うのだ。無差別殺人、殺人を目的とするなら、殺しやすい人間を狙うのは合理的だろう、と。警察の供述作文によれば「誰でもよかった」となるが、実際は「殺せる相手であれば誰でもよかった」であろう、と。

というわけで、おれは無差別殺人、通り魔事件において、犯人が「誰でもよかった」という供述することについて、「殺せるならば」という条件がついているものであると思うし、警察の供述作文においてもそこは明確にすべきものだと考える。

して、この『悪人伝』は、無差別の通り魔殺人犯が、ヤクザのマ・ドンソクを狙うのである。これについては、「誰でもよかった」を文字通りに実行しているのですごい。普通、無差別殺人者はマ・ドンソクを見たら、とりあえず避ける。そこを避けない。やばい。いや、無差別殺人者の「普通」ってなんだって話になるのだが。

まあいい、無差別殺人者、連続殺人者、通り魔が、武闘派ヤクザのマ・ドンソクを標的にしてしまった。警察の跳ねっ返り刑事と、マ・ドンソクが犯人を追う。それだけでもおもしろいだろう。おもしろがっていいのかわからないが、おもしろい展開といえる。これは、それだけの映画である。でも、それだけでおもしろいからいいのである。

つーことで、マ・ドンソクのファンなら必見だろうし、とっくに見ているだろうし、見て損はねえぜといいたいのである。そんだけである。以上。