行動ポイントのない人間、コロナ禍での生活

またまた寄稿いたしました。

とりあえずこちらを読んでください。

blog.tinect.jp

読んだ?

読んだよね?

読んだって言ってよね?

 

というわけで、人間、持って生まれた「行動ポイント」があるんじゃないかという話です。仮説というか、おれの思い込みみたいなものです。でも、あるんじゃないかな。そうとしか思えない。おれがのんべんだらりとしている間に、二つや三つやそれ以上の行動ができる人間がいる。おれにとっては驚異だ。

たとえば、パートナーと同居しているとか、さらには子供までいるとか、そういうのも驚きです。地下鉄のレールくらい驚きだ。当事者にとっては「この程度で?」と思うかもしれないのですが、自分の人生、独り身の生活だけでいっぱいいっぱいの人間にとっては、本当に驚異なんですよ。同居する人間に気を使える、共同生活を成り立たせる。すごい。世話をしなければ生きていけない赤ん坊という存在の生命を持続させ、その責任を負う。すごい。

とはいえ、独り身は気楽だよ、というわけでもありません。不幸にも、もとから行動ポイント少なめの自分は、手帳レベルの精神疾患まで背負ってしまいました。双極性障害というやつであって、落ちるときは文字通り身動きできないくらいの倦怠感に襲われる。そこまでいかないようにいろいろのものをパージしつつ調整しつつ生きると、やはり行動を抑えなければいけない。難儀です。

実のところ、意識改革でもなんでもなく、メーンの薬を変えた(ジプレキサ→ラツーダ)ことで、倦怠感の危機からは少し自由になっているのですけれど。まあ、その反動で、睡眠の質や肉体疲労というべつの問題も生じていますが、まあ、倦怠感よりはましという感じでしょう。

それをましと感じるのは、やはりおれも最低限自分の生活を成り立たせるくらいの行動ポイントは貯めておきたいという欲があるということでしょう。それ以上の欲を抱けるものかはわかりませんし、望んだところでどうしようもない問題ではありますが。

このコロナ禍の時代、はっきり言って積極的な行動(外出とか行楽とか?)は社会的に望ましくもないでしょうし、自分も感染リスクを考えるとそれほど希求するものでもありません。行動ポイントも金もない自分に適した時代と言えなくもないけど、そんなこと言いたくもない。やはり選択肢は限られていようとあった方がいい。いいに決まっています。そんなところです。

で、あなたの行動ポイントはいかほどのものでしょうか?

コロナ禍でポイントが余りすぎて困っていますか?

引きこもりがちの生活が性に合っていますか?

まあ、おれはおれの生活をするだけなので、あなたにさほど興味はありません。他人への興味もパージの対象、とまでは言い切れませんが、そういうところもあります。なにせ、この自分への興味すらパージし、やがてネグレクトになって、ひとり死にゆくような人間なのですから。

 

以上。