大地震所感


 おれはわりかし本気でボロビルから避難することにしている。はじめの地震のときもそうだった。おれと俺以外のひとりがビルの外に出た。まわりのビルからたくさんの人たちが出てきていた。いちばんパニックになっていたのは、ロシア人の若い女性たちで、着替え途中みたいな格好で出てきてとまどっていた。みんなとまどっていた。電柱も電線もびんびん揺れて、こんなに揺れているのはほんとうだろうかと思うくらいだった。中年のひとりがビルを指さして、「あれ危ないよ!」と言った。そのビルはふたつのビルがくっついているような形になっていて、その結合部が外れたみたいになって、小さい方がぐらんぐらん揺れ始めていた。つなぎ目の部分から薄い鉄板のようなものが落ちてきて、駐車場の高級車の上に落ちた。おれはこんなのは夢かうつつかという気にもなったが、足もとは揺れていたし、どんどん建物から人が出てくるし、まぎれもなく本当だった。こんなにすごいことはなかったと思ったし、ぐらんぐらん揺れていた。自分を囲む建物がみなこちらに向かって揺れているような気がしたし、遠くのいちばんぐらんぐらんなってるビルは、もう遠い国の映像かと思えるくらいの非現実だった。
 それから何度からそれを繰り返した。ただ、余震にもすこし慣れてきたので、少しの余震では外に出なくなった。状況もだんだんわかってきた。会社の電気も生きていたし、インターネットはまったく無傷だった。ツイッターはほとんど完全にうごいていて、それも不思議な感じがした。電車の人もいるので、関内駅の様子を自転車で見てきた。周りにロープが張られて、駅付近は落下物の可能性があるので立ち止まらないようにとアナウンスされていた。一応駅員さんが二人いたので、「復旧どうですか?」と念のため聞いたら、「まったく不明です」と答えてくれた。コンビニで薄皮パンと頼まれていた単一電池を買った。コンビニはふつうに営業していて、バイトのだれかが来ないなどという話をしていた。
 職場では逆にすることもなく、仕事などもしていて、福山も佐川もクロネコも集荷にきたし、荷物も出したりする。社員のうちの一人はおれの自転車(ルイガノMV-1)を借りて帰った。ほかの、電車でなくてはならない人は、家族と連絡を取り合ったり、自宅の状況を勘案するなどして動けない。俺はといえば徒歩通勤圏内の人間で、戸締まりや会社の番もやろうということで残っているわけだが、やはりすることもないのでこうやって覚え書きをしている。正直言ってあたまがぐらぐらしつづけているような気になっている。こんなところよりも大きな被害に遭われた方の無事をいのる。