大君の爪噛む少女について

 ここのところ、天皇というものが気になっている。吉本隆明の『共同幻想論』における「起源論」を読んでのことだ。この国の共同幻想のありよう、天皇というもの。ともすれば、戦後民主主義の中で産まれ育った自分などは「現在の象徴天皇制が古代よりのあり方である」などと言われればそんなものかと思ってしまうが、それにとどまらないスケールでの話もありえる。

日本列島に人間が住み始めたのは別に天皇制から始まるわけじゃなくて、それよりはるか以前、数千年はおろか数万年前から住んでいた。もちろん原始社会の段階で村落レヴェル以上にはいかないような存在として、日本列島に分布していたかもしれないわけです。その住民たちは、数万年前から自分たちの祭りの仕方をもっていたと思うんです。

 というあたり。天皇家が一豪族から出てきたのか、あるいは騎馬民族渡来説したのかわからないが、いずれにせよ、その後の天皇制のあり方の中にはそれ以前のものがあるだろうし、なければ成り立ちえないということ。鈴木大拙が、よく仏教について「たしかにインド生まれで中国経由のものだが、日本人にそれを受け取る土壌があったのだ」ということを言うけれども、なにかそういうところはあるだろう。
 そんなわけで、大和朝廷成立以前の、邪馬台国、もっと前の日本(と後に呼ばれる場所)に住んでいた人間のことが気になり始めているのだ。そこに、今のわれわれの社会や政治のもとになり、あるいは変わらぬなにかがあるのではないか。
 上の引用は『天皇制の基層』から。これは吉本隆明赤坂憲雄の対談である。赤坂憲雄といえば、以前に『東西南北考 いくつもの日本へ』を読んだことがある。あの本でも複線的な日本史が述べられていたように思う。とりあえず、今は『天皇制の基層』を読み進めようと思う。

天皇制の基層 (講談社学術文庫)

天皇制の基層 (講談社学術文庫)

東西/南北考―いくつもの日本へ (岩波新書)

東西/南北考―いくつもの日本へ (岩波新書)

 ……とかいう話はどうでもよくなってしまった。全部ふっとんでしまった。『天皇制の基層』の、次の赤坂氏の発言を読んでからである(太字強調は俺)。

……つまり玉体にメスを入れるのはタブーであるということで、昭和天皇の場合ですらちょっとした問題になりました。実際、歴史的に考えてみれば、天皇天皇という位についているかぎり爪すら刃物では切れませんでした。天皇の爪を歯で噛み切ることを役目とする少女たちが、付き人として特別につけられるような歴史を背負ってるわけです。

 な、なんだそれは、お、おれ、天皇になる! 「立太子ボタン」どこ? 立太子ボタン! ギャワー。
 あ、あれ、このおれの動揺が、衝撃がみなにつたわらないのというのだろうか。ちょっとそうぞうしてもらいたい。
 薫風香る季節のこと、みずみずしい新緑の木々の葉ずれが聞こえてくる昼下がり、涼やかな風が館の中に入り込んでくる。気持ちを落ちつかせる香の残り香。爪噛みの時間になり、ふすまがスッと開くと、烏の濡れ羽色のうつくしい髪の少女が立っている。かすかな床音を立ててこちらに来ると、ひざまづいて礼をする。指を差し出すと、少女の緊張ですこし冷たくなった少女の両の手がそえられ、彼女の唇に運ばれる。みずみずしくやわらかな唇は、浄めの冷水でやはり少し冷たくなっている。それが指先に伝わる。少し口が開き、その中にすこし爪の伸びた指が滑り込む。冷えた舌がおずおずと指先を撫であげて、爪に至る。舌の裏で爪を湿らすと、また指の腹をやさしく撫でる。少女の小さな鼻孔から流れるかすかな息吹が指の甲をくすぐる。繰り返される、指先に集中した意識は、そのまま少女が舌先に集中した意識になり、やがて口内はほのかな熱につつまれて、彼我の温度差もなくなり、黒髮の少女がわれかたれかもわからなくなったそのとき、よく整った美しい前歯がそっと爪に食い込む……。
 
 フハッ。あ、もちろん、ぜんぶおれの妄想だよ妄想。じっさいどうだったかとかどうでもいいんだ。ああ、もうどうでもいい。ぎゃー、ぎゃー。