機械に読んでもらうのはおもしろい


 この日記の下の方にzenbackのブログパーツをつけた。自分の日記の中の「関連記事」を表示してくれるからだ。表示してくれてどうなのかというと、だれかがそれを辿って前の記事を読んでくれたらとか、あるいは自分が読み返してどうとかいうわけでもなく、たんに機械が自分の文章を読んで何か判断して返してくる、というのがおもしろい、それだけである。
 診断メーカーのようなものがあって、ああいうのも嫌いじゃないが、やはりランダムというところで物足りなさがある。ある程度、材料をもとに判断してくれるといい。材料として、無駄に量だけある自分の日記というのはもってこいだ。機械が読んで、あれこれ考えて、いや、考えているのかどうか知らないが、それを返してくる。おもしろいじゃないか。
 ……と、同じような文章を二度出したところでおわかりいただけると思うが、なにがおもしろいのか自分でもよくわかっていない。

 このサービスも、自分ではなんにもしていないのに、勝手に領土みたいなのがあったりしておもしろいが、どうおもしろいのか。
 前にも書いたが(もう、だいたいのことは前にも書いたし、明日も書くのだが)、いずれは自動的に俺の日記を機械が書いてくれるようになればいいと思うし、人口無能のようなものももっと発達してくれたらいいと思う。俺はわりかしbotも好きなのだし。
 脈絡なく続けると、診断やテストというものは嫌いじゃない、基本的に。血液検査(注射は大嫌いで泣きたいが)や、睡眠時の脳波をとられるとか、そんなのでもけっこう楽しんでいる。学力テストも、模擬試験みたいなものはあんがい好きだった。そのために勉強したりする気もなかったので、星座占いに近いものだったが(恥をかくのはすごく嫌いなので、算数や数学で酷すぎる点をとると嫌な気持ちになったものだけれども)。
 人生で最初に受けたテストとはなんだろうか。たぶん、幼稚園のころだ。幼稚園のころ、IQのテストを受けたような気がする。園児みんな受けたから、推測だけれども、なんらかの発達障害(?……この言葉は最近聞くようになったような気がする)を調べるものだったろうか。いや、小学校低学年のころか? ともかく、そのときIQという言葉を知ったように思う。いや、漫画、『ドラえもん』(の出来杉くん?)あたりで知っていたか?
 で、テストの結果が出たあと、母に結果をしつこく聞いた、その思い出はある。ただ、母はその結果を絶対に言わなかった。それでひどく心配になった。ひどい結果が出たのではないか? と。しかし、一方で、良すぎる結果で慢心したり、他人に自慢しないように言わないのかもしれない、とも考えた。その間で行ったり来たりしてきた。
 果たしてどちらだったか、それともそのどちらでもなく、本人に言わないことになっているのかもしらないし、今となってはどうでもいいのだけれども。ただ、いくらか、自分のことを検査してもらいたい、はっきりとわかる結果を知りたいと思うことの根っこに、あの思い出が無縁とも思えない。なんの話だったか忘れたが、そんな話である。まあ、結局は、自己肯定できる根拠、あるいは否定できる根拠を外に望んでいるだけなのだろうけれども。