おれはテストの愛し方を間違えていた

今週のお題「テスト」

 

おれはテストが好きだった。勉強することは大嫌いだったけれど、テストは好きだった。思えば、自己性格診断のようなものだと思っていた。おれは実のところ、非科学的なものであろうとなんであろうと自己性格判断のようなものが好きだ。そして、「あなたは引っ込み思案で奥手だと思われがちだけど、内面にはしっかり調和した自己と確固たる才能を秘めていて、何もしないでも自然とお金持ちになれる可能性があるでしょう」って結果が出るの待ってんだ。おれはプラセボバーナム効果が人類の幸福に役立つ方法を確立するべきだと思う。

おれはテストが好きだった。算数と理科は嫌いだったけれど、そのぶんを国語と社会でカバーする。その落差が自画像。テスト結果はおれの鏡。そのためには、得意科目をあえて勉強したりはしなかったし、苦手科目を克服しようともしなかった。赤点だけは避けてきた。おれは勉強が嫌いだった。やらなくてもできることだけが好きだった。当たりくじだけのくじ引きをしたかった。

その結果がこの有り様だ。安い給料、明日をもしれぬ不安定な生活、これといって強調できるところのない職能、学歴は高卒、コミュニケーションに難あり、精神疾患あり。安い弁当を食いながら、サマージャンボの当選金6億円をどう使うかで頭のなかはいっぱいだ。宝くじはいい燃料だ。その燃料が切れたら酒を入れて全部忘れちまうだけ。目の前から余計なものが取っ払われて……そのまま死ねればいいのにね。

おれはテストの愛し方を間違えていた。得意分野で本当に本当の100点満点を取れるように努力する。苦手分野で1点でも多く獲得できるよう予習する。悪い結果が出たら、できなかったところを再点検して身に付ける……終わったら結果見てポイじゃいけなかった。一夜漬けじゃいけなかった。ちゃんとした成長のサイクルの確認点として、テストを愛するべきだった。あれは性格判断テストじゃなかったんだ。順調に人生を歩むための方法の一部だった。今気づいても取り返しはつかない。かといって、過去のおれに忠告したところで、「でも、やる気でねえよ」「そうだよな」で終わりだ。

……どれだけの人間がテストに真摯に向き合ってにまじめに生きてるんだ? 生きてきたんだ? おれには想像もつかない。ただ、おれよりたくさんの給料をもらい、おれより安定した生活を営んでいる人間が多そうな現状を見れば、決して少なくない人間がまじめにやってたんだろう。仮に何もしないおれの一時の成績のほうがマシだったとしても、結局うさぎは生皮を剥がれて背中の薪が燃えてコース脇で死に、亀に抜かれるのが運命だ。今さら鞭を入れても反応なんかできやしない。おれはおれのことを亀的人間と思ったことはただの一度もないが、快速のラビットとして人生逃げ切れると勘違いしてた。人生の斤量は想像以上に重く、人生の距離は想像以上に長く、鞍上はペース配分も我慢のしどころも何もわかってないクソ間抜けだった。

それだけの話だ。