今朝早く母親からLINEが入っており、叔父が亡くなったことを知った。おれが知ったのはLINEから二時間経ってのことだった。
叔父が亡くなるという話は、ここではしていないが、Xの配信で話していたので、こうなりそうなことを知っていた人もいるかもしれない。
叔父を詳しく言うと、おれの父親の双子の弟だ。小さいころの大病が原因で軽い知的障害があり、腎臓も一つしかなかった。一級の身体障害者であり、何級かは知らないが知的障害者でもあった。
おれとは物心ついていたころから同じ家で暮らしていた。父母と、父方の祖父母、そしておじさんの二世帯だかの家だった。
おじさんは外見から障害者であることはわかりにくかった。補助があれば一人暮らしもできたのではないだろうか。知的については、そのくらいの障害である。
思い出すのは、たまにレギュラーコーヒーを淹れてくれたことだ。母は「おじさんのコーヒーは美味しいからね」とよく言っていた。子供のおれにはコーヒーの味はわからなかったが、おじさんは美味しいコーヒーを作れる人だと思っていた。
こんな話もあった。小学生のころだ。おじさんから「おまえと同い年くらいの女の子がいたから、同級生じゃないのかと声をかけたよ」と言われた。子供のころのおれは嫌な予感がした。嫌な予感は的中して、学校で「声掛け事案がありました」と先生が言った。「それは誤解です、それはほんとうにおれの叔父です」とは言えなかった。
家族の話になると、「叔父は福祉関係の仕事をしている」と言っていた。間違いではないだろう。まだ、A型作業所とかそういう言葉のなかった時代、鎌倉山にある福祉施設で働いていた。鎌倉山は高級住宅街だ。そこに、篤志家が福祉施設を作ることにした。住民は猛反対したという。それでも、福祉施設はできた。
父方の祖父はそれなりに裕福だった。死ぬときに、遺産の大部分をその施設に寄付し、そのかわりにおじさんを死ぬまで面倒見てほしいという約束になった。それが正式な文書を交わした契約なのか、口約束的なものなのかはしらない。
結果、実家が借金でなくなり、一家離散したのち、おじさんは施設に入居した。それから二十年以上、とくに会うこともなく生きてきた。最後に会ったのは父方の祖母の葬式だったろうか。ずいぶんと老いていたが、おだやかな物腰はいっそうおやだやかになり、よいお年寄りになったなと思った。
父とは絶縁しているので、母経由の話になるが、ろくでもない年寄りになっているようだ。そんな父はおじさんの件で祖父母を恨んでいた。幼くして障害者になってしまったおじさんに、祖父母の愛情が一方的に注がれたというのである。家で酔って大暴れして、それを止めに祖父母がきたとき、そんなことをひどく乱暴な広島弁でまくしたてていた。「産んでくれとは言わなかった」と言っていた。
そんなおじさんだが、このごろ体調を崩してるという話は母から聞いていた。おじさんは施設にいるものの、それについてのあれやこれやをやるのは母だった。父は人工透析にがんでなにもできないし、とっくの昔に精神が壊れてしまっている。ほかに身寄りがいない。おれはおれで車が運転できないので役に立たない。
体調がいよいよ悪くなり、施設から病院へ入ることになった。がんがあるらしい。何年か前に手術したが、それが再発した。肉体的にも年齢的にももうもたないとなった。最後は楽にということになって、またべつの、ホスピスのような病院に行くところだった。
おれは昨夜、母から「おじさんはもう明日か明後日みたい」と聞いていた。おれはおじさんの夢を見た。ただし、おじさんは出てこなかった。昔の実家、おれと向かい合わせのおじさんの部屋を母が大掃除している。おじさんの部屋はすっかりものが無くなっていた。ただ、部屋のそとに束になった雑誌が置かれていた。エロ本もあった。おれは子供のころ、おじさんの部屋に忍び込んではエロ本を見て、勝手に性の知識を得ていた。「そのエロ本は貴重だ」と、母の目を盗んで、自分の部屋に放り込んだ。そんな夢を見た。起きたらおじさんの訃報が入っていた。これは本当の話である。
