またまた寄稿いたしました。
読んで下さいませ。
読んだ?
読んだだすか?
読んだんだすね?
……というわけで、精神障害者の独身の高齢者などには、住むところも与えられないようだという話だ。
これに似た話をふと思い出した(なぜ書かなかったのだろう?)。おれのおじ。父の双子の弟は幼い頃の大病で大きな身体障害と軽い知的障害を負った。手帳の位でいえば一級である。おれも精神障害の手帳を持っているが三級である。
そのおじが通う授産施設が、ある篤志家の寄付を受けて、新しく施設を建設することになった。が、その場所は高級住宅街であった。鎌倉山であった。鎌倉山の金持ちたちは障害者を忌避し、障害者施設を忌避した。その事実はおれの子供心に深く刻み込まれた。
とはいえ、おれはこちらの体験談と同じようなものを経験している。
独身中年のおれは社会の「不審者」であることを甘受する | Books&Apps
こちらに書いたが、おじが不審者と同級生から疑われた体験である。おれ自身の恐怖ではなかったが、声をかけられてしまった(おじにやましい意図などなかったが)同級生の女の子には同情せざるをえない。同情? ちょっと違うかもしれない。理解? そのあたりだろうか。それはもう、仕方のないことなのだ。
その延長線に、鎌倉山に住む金持ちたちの忌避があり、嫌悪があり、憎悪がある。これは一筋縄ではいかない。
同じように、おれがおれ自身を「たまに抑うつになって塞ぎ込んで動けなくなるだけの害のない精神障害者だよ、ぷるぷる」とか言ったところで、そんなものは信じられることはない。おれは社会にとって、その人に、その人の子供に害をなす不快な異常者として見られるだけだし、これを排除しよう、目の入らないところに追いやろう、なんなら死んでしまえと思われることも理解できる。おれとて、大きな音に弱いので、騒音を出す人間には耐えられない。そちらが殺すつもりなら、おれが殺してやろうかと思う。
というわけで、おれにはおそらく先行きがない。職を失えば、再び職を得ることは難しく、この安アパートに住みつづけることもできない。自死か路上か刑務所か。おそらくそれをネットに報告することもできず消えていくだろう。おれには助けになる親類縁者もいない。行政や福祉が頼りになるとも思えない。すべてを黙らせる金というものもない(ちなみにおれのおじは、祖父母が相当な金を寄付して生涯施設で暮らせるように取り計らわれた)。
おれには恐怖しかないし、諦めしかない。なにも楽しいことなど思いつかないし、状況を変えてやろうと努力する気力もなにもない。みなさまにおいては、先のまったくない人間が、残り少ない猶予を競馬と酒でいたずらに浪費していく姿を嗤っていただければいいと思う。それに一円玉を拾うくらいの価値でもあればいいのだが。