手帳

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おれは「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第45条の保健福祉手帳」を……手に入れた? ゲットした? 授けられた? 恵んでもらった? 取得した? ……よくわからない。いずれにせよ、おれの顔写真、そして名前と生年月日、住所などが印字された「障害者手帳」がここにある。それは事実だ。

障害等級3級。なんのメリットがあるのか? あまりない。窓口で「市バスと市営地下鉄が年1,200円で乗り放題になりますが、ここで手続きしますか」と、ほとんど手続きするだろうというのりで言われたが、「あまり乗らないのでいいです」と断ってしまった。冊子の目次に蛍光ペンをひかれながら……「ええと、税金の控除などが」などと言われた。あまり、メリットはないのだ。そしておれは、給料の天引きの仕組みがまったくわかっていないので、控除といわれてもさっぱりわからん。おれはいくらかお金を恵まれるのか?

まあともかく、これでおれも障害者の端くれになった。おれは今までおれのことを「精神疾患者」と表現してきたが、これからは「精神障害者」と表現しよう。そのくらいだ。ただ、そのくらいがそれなりにしっくりくるところでもある。抑うつになって完全に動けなくなり、会社に行くどころかベッドから降りられなくなるおれの、いつ発現するかわからない病状、治らない病状、今のところ一生薬で調子を安定させていかなければいかない双極性障害という病(もっとも、「もう薬はいらないね」と寛解する例もあるらしいが)、これはもう障害じゃないのかとおれは思っていた。しかも、その症状は年々ひどくなってきている。

というわけで、医者に「手帳をもらうことが心の重荷になる人もいる」などと脅されていたが、そんなことはまるでない。が、かといって手帳を得たところで気分があがることもない。もし、なにかこう、働かなくてもお金がもらえるとでもなれば、かなり心持ちに変化が起こるだろうが、この手帳ではそんなことは起こらない。むしろ、以前より利用していた自立支援医療制度(精神疾患に関する診療費、薬剤費が1割負担になる)の方が大きい。

そもそも手帳も、自立支援医療の更新時に、窓口で「手帳の申請も考えているのですが……」と言ったところ、役人の人が「それならこの用紙に」と、サクッと診断書の用紙を出してきてくれた、というのがある。手帳と自立支援医療が同じ用紙に。それならば、と。

医師はあまり乗り気でもなかったようだが、べつに反対するわけでもなかった。おれは「診断書書いてもらって手帳が得られればそれでいいし、そうでなくても自立支援医療が継続されればそれでいいや」というくらいだった。

そしておれは手帳を得たわけだが。実のところ、手帳を得たら、なにか変わるんじゃないか、安心するのか、なんなのか、なにかこう、なにかあるんじゃないかって思ってたのだ。たぶん、日記に書くこともたくさん出てくるだろう、とか。が、なんというか、なんなのか、なんかこう、なんにもないのだ。公的施設や映画とか(?)も割引になるとか、そういうのはありがたいが、どこまで使うかわからんし……。

でも、なんだろうか、かなりに生きるのが辛く、人生のやる気やなにかもすべて奪い去ってしまう抑うつ、倦怠感というひどいハンデ、健常者との差を思えば、なにかおれの身の証になるようなものは必要な気もするのだし、これでよかったな、ととりあえずは思う。そのくらい。そうだ、手帳を得たからといって、部屋を片付ける気力がわくわけでもないし、人生を良くしようという思いがむくむく出てくるわけでもない。そしてもちろん、人生が安泰になったと、安心できると、そう思うこともありはしない。

結局、なんなんだ? おれにはよくわからん。阿呆だからよくわからんのかもしらん。それでもまあ、税金によってまかなわれる人件費、用紙代、印刷費、そんなものを使って、この手帳はできている。おれが手帳によるサービスを受けたら、またそのぶん、税金を食うことになるだろう。まあ、それでもいい。おれはそれだけ苦しんでいるし、社会の底辺に這いつくばってる。そういう思いもある。

おれはべつに手帳を見せびらかしたいわけでもないが、内緒にしたいわけでもない。まあともかく、生きる上で日記を書いて、書くべきことではあるということだ。おれがこれによってなにか得るのかもしれないし、失うかもしれない。まったく変わらないかもしれないし、もうそんなことはどうでもいい。おれが自分の人生にうんざりしていることに変化はないし、まったく失望のなかにいる。それは一昨日だって、昨日だって、たぶん明日も変わらないことなんだ。それだけだ。

 

以上。