名前も知らない鳥が鳴いた。

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三月も半ばを過ぎた。

おれは疲れている。毎年のことだ。年度末は書き入れどきだ。仕事も増える。ごちゃごちゃ、いっぱい、いろいろ、頭が変になりそうだ。頭、ほんとうに障害で変なんだけど。

それにしても、疲れやすくなった。そうも思う。もうちょっとやれてたように思う。もっとやって、それでもなんとかなっていたからだ。年度末は土日なし、深夜二時まで、なんてのも普通にやっていた。

なぜかわからないが、いや、仕事の量が減ったせいだろうか、そういう無茶な日程はなくなったが、そのころの元気がいまあれば、もっと楽に仕事を終わらすこともできていただろう。

春は苦手だ、と毎年書いているので今年も書く。花粉症とかそういうものではない。心がぞわぞわして落ち着かなくなる。

が、考えてみるとそれは、双極性障害躁うつ病)でうつ状態におちいるのとは違っている。不安感が増大する、と精神科の患者的に言ってもいいが、ちょっとずれている。

となると、これはおれがおれの脳の病気とは別の、「心」の具合といっていいかもしれない。心、気持ち、あるいは記憶が構築するもの。

春は怖い季節だ。クラスが変わったりする。幼稚園から小学校、小学校から中学校、大きく環境も変化する。おれは環境の変化を好まない。頼むから静かにしてくれ。

おれはおれの散らかった部屋で寝ていたい。シャワーを浴びて外に出るなら、自分の二本の足で歩きたい。だれにも指図は受けたくない。

究極的に望むものを漢字二文字で表すなら? 「自由」だ。

おれはヤマザクラの花びら散る山へ行く、奥の方へ、奥の方へ分け入って、ふと振り返って、自分が自由なのかどうか確かめる。

名前も知らない鳥が鳴いた。