昨夜、なんとなく頭に浮かんだことをつぶやいた。
「一つの競馬場を救った馬」となると、下手すれば中央のG1馬よりも偉大なのかもしれない。あのドージマファイターですら北関東を救えなかった。ハルウララは走ったのだ。
— 黄金頭 (@goldhead) 2021年3月16日
ハルウララのことをなんとなく考えたのは、『ウマ娘 プリティーダービー』に登場しているからにほかならない。ゲームの中のハルウララは中央のオープンだって勝ってしまう。現実には程遠い。
程遠いが、ハルウララがこのゲームに登場することに違和感はない。どこかの『ウマ娘』の感想で目にしたが、「競馬を知らない自分でもディープインパクトとハルウララの名前くらい知っていた」というようなものがあった。
競馬に頭の先まで浸かってる人間には、そのあたりよくわからない。よくわからないが、納得できる話だった。そして、その対比がおもしろくもあった。片や近代日本競馬の結晶とまで呼ばれる「最強」の歴史的名馬。一方で、「競走馬の終着駅」とまで言われた高知競馬で当時の(その後このレコードは何回か書き換えられている)連敗記録を作った「最弱」の馬(もっとも、馬券圏内に何回か突っ込んできてるし、そういう意味では最弱というわけではないが)だ。
おれが上のツイートで書いたドージマファイターは、当時の地方競馬連勝記録を打ち立てた馬である(出走していたレースの格は高くないので「最強地方馬論争」などには出てこないが)。そのドージマファイターですら、たしか当時は「リストラの星」として、一般メディアの話題になっていたような気がする。
ほかにも、地方からの挑戦としては、コスモバルク(個人的に実力をちょっと過小評価されていると思う馬の一頭)あたりも少しは一般メディアに乗っていたと思う。思うが、たぶん、競馬ファン以外でコスモバルクを覚えている人は少ない。ほとんどいないかもしれない。
でも、ハルウララなら?
おれは、「ハルウララが高知競馬を救った」というようなことを書いた。これが正確かどうかはわからない。決定的に救ったのはネットの馬券発売だろう、という話があるかもしれない。しかし、ハルウララが高知競馬にもたらしたお金がなかったら、廃止という道もあったのだろうと思う。おれが競馬をはじめてから、いくつの地方競馬場が廃止されたことだろうか。「ハルウララがいなくても高知競馬場が2021年に存続していたかもしれないが、そうでもないかもしれない」。そのくらいは言ってもいいだろう。
ところで、安西なんとかって人はどこに行ったんだ……? まあいい。
むろん、競馬ファンにとって、ハルウララは少し複雑な存在ではある。ファンではないが、中央の騎手の第一人者である武豊の発言がそれを表している。Wikipediaから引用しよう。
「生涯で一度も勝ったことがない馬が、GIレースを勝った馬達よりも注目を集める対象になるというのはどうにも理解し難いものがあります」と述べ、過熱するブームに対する違和感を表明した。
それはそうなのだ。競馬ファンとしてそれもわかる。わかるのだが、やはり武豊と底辺の競馬ファンでは感じ方が違うのも当たり前だな、とは思う。
まず競走馬にすらなれないで廃用、すなわち肉になる馬たちがいる。基本的に血統や実力が低いとされるものが地方で競走馬になる。中央競馬でデビューできるだけでエリートと言っていいかもしれない。そのなかの一部の馬が中央で勝利することができ、さらに一握りの馬たちが複数回の勝利を挙げ、さらに少数の頂点がG1レースに出ることができる。そこまできて、ようやくG1を勝つチャンスが生じる。重賞馬はもちろん、G1を勝つというのは本当に高いピラミッドを、すさまじい能力と運によって登り切る必要があるのだ。
武豊はそういう舞台で戦ってきた騎手である。騎手も争いの中にある。武豊はそれこそデビューの頃からトップランカーとして騎手生活を送ってきた。その彼に、人生の負け組も少なくない競馬ファンの心情はわかりにくいだろう。
一方で、武豊はどんなに賞金が安い地方競馬にも、鞭一本持って(よくある比喩です)乗りに行く。競馬には常に危険が伴う。それは一着賞金一億円のレースでも、十万円のレースでも変わらない。より正確にいえば、一着賞金十万円のレースに出ている馬の脚の方が危ない、とすら言える。
武はこの日の騎乗について、自身が「チャンスがあれば乗ってみたい」と発言したことがきっかけで「競馬の本質を離れた大騒ぎ」が繰り広げられたことに嫌気が差し怒りすら覚えていたが、1万3000人もの観客を見て怒りが消え、「一度、乗ってみたい」という気持ちに立ち戻れたと振り返っている。レース後武はハルウララについて、「『強い馬が、強い勝ち方をすることに、競馬の真の面白さがある』と僕は思っています。この気持はこれからも変わることはありません。しかし、高知競馬場にあれだけのファンを呼び、日本全国に狂騒曲を掻き鳴らした彼女は、間違いなく"名馬"と呼んでもいいと思います」と評した。
これはファンサービスの言葉だろうか。いや、ファンあっての競馬というものを考えてきたであろう彼の本心でもあろう。そう思いたい。
おれも、そう思いたい。ハルウララは一つの競馬場を救ったのだ。
一度競馬場がなくなってしまえば、もう復活の目はないといっていい。競馬関係者は道を失い、行き場のない馬も多く、競馬場によって成り立っていた経済圏もなくなる。そして、その地の競馬文化が失われる。
その消失を回避させるほど豪快な仕事をした馬が、ハルウララのほかにいるだろうか。世界のどこかにはいるかもしれないが、おれは知らない。
だからおれは、ハルウララを「名馬」といっていいと思う。
そして今日、こんな記事を目にした。
武豊ハルウララ超え!黒船賞が高知競馬売上レコード|極ウマ・プレミアム
16日高知で行われた統一重賞「黒船賞」(統一G3、ダート1400メートル)は売得金が6億4180万8500円となり、高知競馬1レースあたりの売上レコードを更新した。
従来の記録は04年3月22日10R「YSダービージョッキー特別」の5億1162万5900円。連敗記録で注目されたハルウララにJRA武豊騎手が騎乗して話題になったレースだった。
高知競馬は関係者の努力もあって持ち直した。今ならネットでも簡単に馬券を買える。一発逆転ファイナルレースだ。
そしてもし、あなたが競馬場に行ったことがないのなら、このコロナ禍が収束したあと、とりあえず近くの地方競馬場にでも出かけてみたらどうだろう。そこには、たくさんのハルウララたちが走っているかもしれない。明日のオグリキャップがいるかもしれない。もしかすると、うらぶれた格好をして野次を飛ばしているおれもいるかもしれない。
いつか、そんな日が。