最後のサザエさん

我が家には一年に一度、夏休みに家族旅行に行くという習慣があった。おれが小学生になったころに始まり、たぶん中学生のころには終わったんじゃないかと思う。

その年、といってもいつだったかさっぱり覚えてはいない。行き先も曖昧だ。たぶん、長野の方だったと思う。古い宿場町に泊まったのだと思う。温泉などがなかったので、近くの古い銭湯に行ったようにも思う。古い町並みのなかには古い古本屋などもあって、書痴の父がなにか古い本を買っていたように思う。おれと弟は『哭きの竜』全巻を買ってもらったように思う。

その夕方のことだった。ふだんの神奈川県鎌倉市とはぜんぜん違うテレビのチャンネル、それでも「サザエさん」をやっていたので、なんとなくおれら兄弟は「サザエさん」に合わせた。とくに毎週「サザエさん」を見る習慣があったかどうかよく覚えていない。「ちびまる子ちゃん」は見ていたような気がするが、なんとはなしに「サザエさん」にしたのだった。

すると、父親が「サザエさんなどくだらん、変えろ」と言い出すのである。それに対し、おれと弟は反発したのだった。ただ、反発といっても深く「サザエさん」を愛するがゆえに、などということもなかった。なんとなく見ているアニメを中断されたくなかったくらいのことだったろうか。なんにせよ、軽い気持ちで反発したのだった。

父は激怒した。え、そこで何らかの琴線に触れるとは思わなかった、というくらいキレて、一人で部屋を出て、宿を出て、どこかに行ってしまったのである。もとよりキレやすい人間であることは承知していたが、「サザエさん」に地雷が埋まっているとはまったく知らなかった。母もおれも弟も、出て行く父を呆然と見送り、そして苦々しく思いもした。よりにもよって旅先でのことだった。

おれは今でも、雪降る信州の古い宿場町、一人で家族を捨てて夜の道を行く父の姿を想像することができる。もっとも、夏休みの旅行なのだから、雪など降っているわけなどないのだけれど。

まあ、そんなわけで、父が「サザエさん」の描く「家族のだんらん」のようなものを嫌っていることを骨身にしみるほど知ることができた。少なくとも当時のおれはそう思った。

が、やがて家族旅行にも行かなくなったか、行けなくなって気づいたのだが、父はその父、おれの祖父をたいへんに嫌っており、それを波平に見ていたのではないかと思うようになった。むろん、絵に描いたような「家族のだんらん」だって嫌いだったろうが。

父は双子で、弟は生まれつきの障害者だった。愛情や優しさが弟ばかりにそそがれ、父はけっこう厳しく育てられたという。少なくとも本人はそう思っていた。おれが物心ついたときには、進行したパーキンソン病を患い、体の動きが鈍く内向的に見えた祖父は、ひどく厳格な人間だった。そんな話を聞いたのも、祖父の死後であったように思う。

波平さんの声優が亡くなった。そんなニュースを見てこんなことを思い出した。京大出で化学博士だった祖父は「家族のだんらん」を作るのには失敗したし、父も受け継いだいくらかの富を使い果たし一家離散をした。その息子であるおれは家族を作ることなどないだろうし、なしくずしに人生を朽ちさせている。

ちなみにおれはいつの間にか「サザエさん」が大嫌いになって、見るのを避けるようになった。上の一件よりしばらく後になってのことだと思う。それすらもあやふやな記憶なのだけれど。