一市民が書き残す新型コロナウイルス日記・第一波収束願望編

※以下に記すのは感染症の知識も医学の基本も知らない一市民の覚え書きになります。COVID-19についての正確な情報をお求めでしたら、正確な情報が掲載されているページを勝手にお探しください。

 

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緊急事態宣言の継続に係る知事メッセージ - 神奈川県ホームページ

昨日、国は、専門家会議の評価を基に基本的対処方針を改定し、全国に拡大していた緊急事態宣言を、39県で解除しました。一方で、本県を含む8都道府県では、緊急事態宣言が継続することとなりました。


令和2年5月15日

おれが新型コロナウイルス感染症の流行について最初に書いたのは3月の初めだった。ついこないだのような気もするし、はるか前の話のような気もする。あまり変化のない日常を送っていたおれが、少し変化したさらに変化のない日常を送るようになって、ますますうすらぼんやりした日々を過ごしているような気がする。それが長いのか、短いのかもわからない。

“感染”した時間|斎藤環(精神科医)|note

斎藤環医師の書くことはむずかしくてよくわからない。

 

とはいえ、おれが「変化」を感じた日があった。ステイホーム週間のゴールデンウィークが開けた5月7日? 違う、7日と8日はあまり変化を感じなかった。感じたのはさらにその次の週明けだった。5月11日の月曜日。これである。なにかよくわからないが、道に人が増えたような気がした。人の量も、車の量も、増えたような気がした。おれはべつにどこに寄るでもなく自転車で通り過ぎるだけなのだけれど、なんだか、違うぞ、と思った。その後の一週間(金曜日は微熱が出て会社を休んだのだけれど)、その「なんだか、違うぞ」が続いた。

「なんだか、違うぞ」は、要するに自粛ムードが溶け始めているということだった。「緩んでる」という空気があった。気のせいかもしれない。よくわからない。数字に出ているのかは、わからない。だが、「もう、いいんじゃねえかって感じになっていない?」という感じになっていない? という感じがしたのである。

とはいえ、まだこの神奈川県においては緊急事態宣言下にある。しかし、だ。一番注目されている東京都の新規感染者数も減ってきている。かなり減ってきているように見える。これは、第一波が収束しつつあるということじゃないのか。そう思わずにはおられない。ここらで、第一波を終わらせて、少し手綱を緩めて馬なりのポジションを取って、第二派に備えるのがいいじゃないのかと思う。

……と、おれが「感じ」たのも「思った」のも、すべて願望かもしれない。願望だろう。もう、これ以上は、仕事が暇なのに耐えられない。いや、おれは仕事が嫌いだから暇なのはいい。問題は、暇であること、仕事がないこと、会社に金が入らないこと、会社が潰れること、それを不安に感じること、これである。おれがたとえば、システムエンジニアとかプログラマーとかの技能を持っていて、在宅でもフリーランスでも食っていけますよ、というのならいいが、残念ながらおれにそういうものがない。ニッチとニッチをかけ合わせた便利屋のような職歴であって、この零細企業にしがみつくしかないのだ。コロナがなくても、いつ吹き飛んでもおかしくないのだけれど。

 

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おれが本当に首筋に寒いものを感じたのは5月4日だった。その怖さから逃げるために、おれはありもしない「緩み」を感じたがっているのかもしれない。政府が、自治体がなにを言おうが、もうなし崩し的に経済動かしていこうじゃないか。いや、経済なんて大きなものはよくわからない。少なくとも、自分に関わるお客さんも昔のように仕事を初めてくれないか。うちに仕事をくれないか、これである。手前勝手と言われればそのとおりだ。おれは手前を生きている。手前のことだけ考えて生きている。おれの世界は悲しいが、世界の悲しみはおれの悲しみではない。

というわけで、第一波はもうおしまいということにしてくれないか。頼むから、もういいじゃないか。十分やったんじゃないのか。なんとなく、そんな感じになってるんじゃないのか。なっていてくれ。違うと言われても耳を貸さない。自粛警察というものがいるのならば、潔くおれを撃ち殺してくれ。それでもいい。もう、こんなふうに死んでいくのは、耐えられない。

そんなことを考える、ちっぽけなおれの、意味も力もない、土曜の夜。