マニ車を回せ

 卓上マニ車の回り具合がいいので、ことあるごとに回している。オム・マニ・ペ・メ・フム、オム・マニ・ペ・メ・フム、オム・マニ・ペ・メ・フム……。
 俺によく、俺によく、俺になんかよくなりますように。でも、俺ばかりだと申し訳ないので、身近な人のことも願おう。まあ、いいだろう。功徳があるのかないのかわからんけれどもいいだろう。とくに回した人専用と書いてあるわけでもないようだ。
 それにもちろん、チベットのことも祈ろうか。これにそういうお祈りをしていいのかどうかわからんが、まあ、悪くないだろう。こいつだって、チベットから来たのだ。チベットがよくなりますように、よくなりますように。
 しかしなんだ、だったら、パレスチナのことを祈ったっていいじゃないか、となる。このマニ車には、どうもどこの国のどんな人種かを識別するような機能はついてなさそうだ。パレスチナで血が流れませんように、血が流れませんように。そうだ、べつに選別機能なんてついていないんだ。世界人類が平和でありますように……。
 と、なれば、中国のやつにもいいように、イスラエルのやつにもいいように、なにかよくなるように作用するということだ。なにせ、相手を選ぶ機能なんてついていないからだ、このマニ車には。ただ、回るだけだ、回って回って回って、経文が回るだけだ。じゃあ、しょうがないじゃないか。紙と木と金属と塗料でできているだけなんだもの。
 それで、もしも誰かが、このマニ車のことを、気に入らなくても、まあ許してほしい。それに、回された方が気づくこともないだろう。おれが回して何を考えているか気づくこともないだろう。でも、悪かったね、勝手にね。でも、これには、このマニ車には、選ぶ機能なんてないんだ。それに、回す俺も馬鹿だから、うまく選別する方法もしらないし、ただ回す機能しかついていないんだ。悪かったね。でも、俺はマニ車を回すんだよ。よくなりますように、よくなりますように、よくなりますように。
 実はマニ車がどんなものなのか、俺はよくしらないんだ。経文の意味をしらない。意味があるのかもしらない。ひょっとしたら、回す俺のためにあるのかもしれないし、仏法のためにあるのかもしれない。でも、どうも、こいつには、それほど複雑なメカニズムを持っているようには思えない。しごく単純な作りだと思う。冷静に考えればそのように見える。
 だからこそ俺はマニ車が好きだし、今日も飽きずにマニ車回すんだ。悪かったね、許してほしい。

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