20年前の僕らは胸をいためて「ロマンティックあげるよ」を聴いてた


 『輪るピングドラム』のエンディングというのはただごとでない感じがする。少しぼやけた画質、ちょっと暗いメロディ、なにかわからない夢のようなイメージ。これを見ていると、子供のころの心持ちが想起される。子供のころの、夕方ひとりで再放送のアニメを見ていて、それが終わるときのことを思い出させる。あるいは、一週間に一回の楽しみにしていたアニメのエンディングを思い出させる。とてもさみしく、悲しく、不安な気持ちになった、あの感じが戻ってくる。20年前の僕らは胸をいためて「ロマンティックあげるよ」を聴いてたのだ。

 あの不安な感じの正体はなんだったんだろう? と、あえて疑問にすることもなく、俺は答えを知っている。強く覚えている心持ちだからだ。アニメが終わり、その日が終わり、その一週間が終わり、また新しい日、新しい一週間が来る。大げさに言えば「時の流れ」、「自分の未来」に思いをめぐらせていた。なぜアニメのエンディングがそうさせたのかわからないが、今この時、小学生である自分がやがては終わり、将来になって、大人になる、その不安をひどく感じていた。
 そして、ある意味、今がその「将来」であり、「大人」なのだけれども。大人なのに、また俺はアニメのエンディングを見て不安を再体験している。きっと何者にもなれなかった俺はせつなくて、『輪るピングドラム』のエンディングを見るとすぐ胸がきゅんとしちゃうの。馬鹿なの。死ぬの。
 曲のタイトルは「DEAR FUTURE」だってさ。

DEAR FUTURE

DEAR FUTURE