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行って損はない! ヨコハマトリエンナーレ2014(横浜美術館編) - 関内関外日記(内)
……(目新しいリンク形式の「埋め込み」ってやってみたけど、どうなん、これ?)
というわけで、ヨコハマトリエンナーレ2014は横浜美術館以外でもやっている。しばらく間が開いたが、黄金町を除く残りの会場を片付けに行った。
もう、チケット代は横浜美術館で元がとれたので気楽なものだ。え、芸術鑑賞は損得か? 低能未熟大学文学部美学美術史学専攻中退のおれ曰く、金を取る以上は損得じゃなきゃあおかしい。金出したら面白いもん観られる、それでいいじゃあないの。
というわけで、BankART Studio NYKから。……って、この会場は地味すぎるし、ヨコトリやってます感の薄さは異常。「え、共通チケットで入れるんだよな?」と不安になるレベル。
まあ、入れるわけだけど。このバスはずっとあるやつ。
山下拓也《L.A.coHAMA OLYMPIC '14》
この会場はなんというか、客が放置されている感じでいい。係員の数が少ないのもいい。
うっかりするとテラスのソファなんかでいい眺めと秋の陽気を楽しんじゃったりして時間を食う。
黒田大祐《東風》
それでトイレ行ったりしたらすごい扇風機がたくさんあったりするので侮れない。
原口典之《オイルプール》
そしてこのオイルプール。これはたしかどっかで観たぜ、と思ったら、どうも違うようだ。おれが観たのは多分リチャード・ウィルソンという人の作品で、東京都現代美術館でやってた「うさぎスマッシュ展」だったんじゃないかな。でも、その記録が……って、見つけた。ずっとはてなダイアリーの方探してた。これだ。
写真もある。似ているなあ。でも、浸されている液体が違うので印象も違う。というか、純粋にニオイが違う。今回のやつ、展示室にしばらくいたら体調不良を訴えるやつも出てくるんじゃないかという。でも、そういう注意もなにもないのがわりと好もしい。
青田真也《日常/オフレコ》
これなんかはグランドピアノをひたすらヤスリがけした作品で、なかなかインパクトあった。なんというか、力技といったらなんだけれども、すげえな。
まあ、そんなこんなでBankARTをまったり見終えて(アーカイブと称して倉庫のようなところまで開放してて、見張りもいないの)、次へ。上の写真は作者・作品名不詳、警察の前にある。頑張れおまわりさん、トリエンナーレとは関係ない。
途中、象の鼻パークに寄る。パラトリエンナーレ2014というのをやっている。これは、発達障害だかの人で、ひたすら競馬の落馬シーンばかり集める嗜好(指向?)があるという人の作品。競馬ファンとしては痛いところを刺されるような気になった。やられたな、という感じ。
水分補給などもする。つーか、会場間けっこう離れてんのよね。そりゃバスも走らせるわ、というか。まあ、歩き慣れてる地元民なので歩くが。
イライアス・ハンセン《そんなこと気にしない》
で、やって来ました新港ピア会場。これが横浜美術館に続く第2のポジションだろうか。スタッフの数も多い。作品も大きなものが多い。とはいえ、映像作品も多い。おれはこういう美術展とかの映像作品というやつに感銘を受けたことがあまりない。とっつきにくいというか、ようわからんというか、断絶を感じるというか……。動く絵に対しては娯楽を求めてしまうのか、そこんところおれにはわからん。今日もいくらか観たが、眠くなってしまった。
でも、たとえばメルヴィン・モティの《ノー・ショー》という作品。第二次世界大戦中、作品を退避させて空っぽになったエルミタージュ美術館に兵士たちを招待して、そこには存在しない絵画についてガイドが解説したというのを再現したものだが、これは話としては面白い。本当のことかどうか知らないが、ナイスだ。ナイスだけど、画面はだんだんと暗くなっていく部屋の様子であって、眠くなる。眠くなって悪いかという話もあるが、まあいいか。あとはなんか労働者100人と相撲を取るという作品とかもあった。
大竹伸朗《網膜屋/記憶濾過小屋》
で、ラストに出てきたメーン作品の一つ。……なんだけど、思ったよりこじんまりしているなとか思ってしまったのはなぜだろうか。正直いうが、惜しいことをしたと思う。もっとしっかり観るべきだったんじゃないかと。おれの方の勝手な惜しさだ。焦点があってなかった、距離感がつかめてなかった。そんな気がする。作品を観るのに失敗することがあるのかといえば、あるんじゃねえのって思う。
桒原寿行《eye》
それで最後にこれ……はBankARTの方にあったやつだ。アップロードが前後してわからなくなった! 面倒だからここでいい。で、これが何かというと、アーティストのサイトがあるのでリンク。
豚の眼球から水晶体を取り出してレンズにする。だんだん水晶体は朽ちていき、レンズとしての役割を失っていく。そこに生から死への境が写る……。豚の目を解体するシーンからの映像も流れてる。すげえよ、これ。これはすごい。レンズ沼の極地。沼のゾンビはやがて自分の目を……とか想像したり(しねえか)。これはこわい。これにもやられたというか、すげえこと考える人間がいるもんだ、まったく。
と、すげえことといえば、また新港ピアに戻って、松澤宥の一連の作品だな。撮影禁止だけど、これがもう。頭のなかには野坂昭如の「マリリン・モンロー・ノー・リターン」が流れてきて、「ああ、人類消滅するんだ」って気になった。いろいろの言葉の一つに、やがて来る私の死は私自身のものだが、あなたの死とも何千億の過去の死とも何億兆もの未来の死とも同じあれなのだ、みたいなこと言ってて感銘を受けた。あれなのか、と。それでいいのだ、と。
というか、新港ピア会場は全体的に明るいか暗いかでいえば暗く、なるほど森村泰昌が「洪水のあと」、「忘却の海に漂う」と名づけただけあるという。そういう流れで来て、トリエンナーレを〆るのか、と。「いろいろな問題について考えさせられました」と、学生の感想文なら書いてしまいそうな……って、学生でもないおっさんのおれも書いちゃったけどさ。うーん、一筋縄じゃいかねえなあというか。
いや、面白かったよ、混沌、あった。
それで、カフェで女とアートと関係ない話(給湯器が壊れたので直した、など)をしてたら暗くなった。もう9月も終わる。2014年も終わる。
忘却の海、か。