さて帰るか

都市に雨が降った。降った雨はどこへいった? ぼくは都市の水路のことなんて考えたことがなかった。

扉を開けると一面にムラサキハナナの花が咲いていた。ぼくは何千年前からもこの景色を知っていた。自由になったシマウマが気ままに駆けまわっていた。

人間のなかで、自分の頭でものごとを考え、立っていられるのは千人のうち二人か三人だと言ったのは、ルイ・オーギュスト・ブランキだったか、ミハイル・バクーニンだったか。

人生をやり直すのではない。やるのだ。おまえは、一切のできごとを変えることはできないし、見たものすべては寸分違わず繰り返され、また見ることになる。それはこの太陽が百億回前に登ったときに、すでにそうだったのだ。

おれはとてもドングリを拾うのがうまい人間だったかもしれない。この世界では劣等だが。おれはとても食べられそうにないものを食べることができるのを発見するのが上手な人間だったかもしれない。この世界では劣等だが。

すべての虫がそうではないように、すべての人間が光に向かって歩み出すわけではない。すべての虫がそうではないように、すべての人間がそうではないように。それにしたって、虫と人間のなにが違うっていうんだ?

虫と人間。

老人は子供の首を両の手で掴むと、ありったけの力を込めて締め上げようとした。しかし、力は入らなかった。子供が精一杯の力で振りほどくと、あっという間にその姿は見えなくなってしまった。老人は呆然と両の手を見つめた。時間が彼をそうさせてしまったのだった。

スケジュールの中に「宮内庁」の三文字があると、自分がなにかたいした人間のような気がする。御苑の植木の管理をする植木屋など、皇宮警察が親に電話をかけて問題がないか調査するという。息子がなにかたいへんなことをしでかしてしまったと勘違いして、電話口で泣き出してしまった母親がいたという。貴があるから賤がある。

あるいは虫と人間。

人間になりたかった人間の話。

今日はここまで。だからといって、明日があるとはかぎらない。明後日だって、明々後日だって、百億回太陽が登ったあとだって……。