『万引き老人「貧困」と「孤独」が支配する絶望老後』。なんかすごい題名。すごいけど、もう当たり前の感もある。こんなのが当たり前というのはろくな社会じゃない。ただ、おれにはもう「貧困」、「孤独」、「絶望老後」が当たり前に思えて、おれもろくでもない社会で、ろくな人生を送っていないともいえる。「ろく」ってなんだ?
おれは最初、鈴木大介(棋士にあらず)のようなルポかと思っていた。そうではなかった。著者は「現役万引きGメン」だった。実録24時、だった。だから、一人一人掘り下げて、などということなく、怒涛の万引き、怒涛の老人である。ケースに次ぐケース。どこまで本当か、どこまで盛っているのかわかりはしない。でもリアルななにかはある。そう思える。
二人の警官に叱責された後、店の外で解放された男は、街の雑踏に消えていった
この人は、これから先どうやって生きていくのだろう。失うものがない人間は一番強いと先に述べたが、「強さ」の答えが犯罪者になり下がる絶望を指しているのだとしたら、これほど悲しい話もない。
「金がない老人たち」p.25
くわしいことはわからぬが、万引き=警察に通報という通達のようなものがあったらしい。とはいえ、現実的に警察が捌き切れないので、店長さん、ここは被害届やめといてよ、という現実もあるらしい。そして、ブチ切れる万引き老人もいれば、即土下座老人もいる、諦めに満ちた老人もいる、あえて刑務所に入りたい「志願兵」もいる。まことこの世は地獄である。
我が国が誇る世界有数の都内繁華街にある大型スーパーにおいて、弁当と惣菜パックを盗んだ77歳の「志願兵」を捕まえた。志願兵とは、軽微な犯罪を繰り返し、拘置所や刑務所など刑事施設に出入りを繰り返す者を指す俗語だ。
「10日ほど前に拘置所から出たばかりなんだけど、メシは食えないし、寝るところもないから戻りたいんだ」
「居場所がない老人たち」p.109
おれはよく「自死か路上か刑務所か」という言葉を使う。おれの言葉である。おれの行く末を考えたときに出る言葉である。「志願兵」は「刑務所」を選んだ人間の言葉だ。刑務所の米はべちゃべちゃに柔らかいといろいろの本から知って、刑務所は嫌だな、と思う。思うけれど、一日一回シャワーを浴びなければ耐えられないおれに路上は無理、となると自死しかない、というところに毎度たどり着く。が、おれに死ぬ勇気があるのか。やがておれは「志願」するかもしれない。人を殺したりはしない。何回も万引きを繰り返す。「カゴ抜け」(どんな手法かは本書を読まれたい)をする、いきなりその場で惣菜を食う、なんでもありだ。おれはやがて、そんなふうになるかもしれない。やがてがどのくらいの射程か、計りかねてはいるが。
ニコドリ(二個取り)とは、万引き犯が同じ商品を二個ずつ盗むことが多いために生まれた言葉だ。精肉や鮮魚など生鮮食品のトレイパックを狙う時には、ふたつのパックを手に取り、中身が見える表側を拝み合わせるようにしてひとつにする。
「Gメンから見た万引き老人」p.142
こんな悲しい「拝み」があろうか。とはいえ、これも万引き犯(窃盗犯、といったほうが精確なのだろうが)の心理がなせるところである。ほかにも、レジの娘に客を装った母親の、コンビネーション窃盗(高い商品を素通りさせる、千円札に九千円のお釣りを渡す)などもあって、なんとも言えない気持ちになる。万引きが露見した直後に自殺するケースも2件記されている。あれも貧困、これも貧困、貧困ブルース。
唯一明るい(?)話、前向き(?)な話があるとすれば、著者の提唱する「店内声かけ」であろうか。店員が、怪しげな客に積極的に目を合わせて「いらっしゃいませ、なにかお探しでしょうか?」と声掛けするのだ。これにより、わりと万引きの被害が減ったりするという。
とはいえ、その万引きを未遂に終わらせたところで、「この人は、この先どうやって生きていくのだろう」という問題は解決しない。今、老人のある行動が問題になっているとすれば、それは今後確実に増える。ある時点まで増える。高齢化社会というのはそういうものだ。おれは高齢まで生きられるだろうか。生きたとして、「志願兵」にならない確率はどのていどのものだろうか。正直、読み物としては軽い。軽いけど、おれにとっては重い。あなたにとってはどうだろうか?