生活に突き刺さる映画―『そこのみにて光輝く』

 原作小説も読んで、ひどく感じ入るところがあった。

 その佐藤泰志原作の映画がまた制作されていた。去年の話である。おれはそれに気づかなかった。ただ『そこのみにて光輝く』という映画の評判が良さそうだ、ということはなんとなく知っていた。
 今度の舞台は「海炭市」ではない。「函館市」である。「山」で発破を生業としていたが、事故によって「街」に降りてきて、パチンコと散歩の日々をおくる主人公。偶然、パチンコ屋で出会った仮釈放中の若者。その若者の姉、寝たきりの父を抱え、若者が世話になっている植木屋の愛人である姉、夜の街で身体を売る姉、週三回イカの塩辛工場で働く姉。この三人を中心に、実に暗くてやり場もいき場もない、どん詰まりの世界が展開されていく。いや、展開すらしていないのかもしれない。破局に閉じていくといったほうがいいのだろうか。とはいえ、そこに一筋の光がないではない。それゆえに光輝く、か。
 幻の「海炭市」に比べて(といっても時間がたったので詳しくは覚えていないが)、なんともリアルな「函館市」である。この場合のリアルは、函館の実情とは関係ない。植木屋と植木屋のベンツ、競輪場の特別観覧席、祭りで陣取って下品な話をする様、そのあたりの感じ。あるいは、日雇いの一万円を持ち帰り、寿司の出前を取ろうとする若者、母親は寿司屋の味が落ちたという、あるいは「海」を生業としていた過去からの比較、いずれにせよその金の使い方は間違っている、と誰がいえようか。そして、主人公が「山」で一働きすればそれなりに大きな金になりそうだと推測させる感じ。弟分のような存在になった仮釈放中の若者が「山」でやり直したいと思う感じ。
 それらの「感じ」がいちいち突き刺さってくる。もちろん原作小説あってのことだろうが、よくよく作りこまれているようだ。それを役者がみごとに演じきっている。映像も負けちゃいないし、音楽だってよかった。だからこいつはいい映画だ。とてもいい。今年観たなかでも最高級だ。
 と、他人事のように言えるご身分でもないおれがいる。この貧困とその連鎖、先の見えなさ(まあ主人公には「山」があるのだが)、介護の問題、なにもかも。行き先は自死か路上か刑務所か。そういえば原作者は自死している。おれはどこに行くのだろうか。決定的なのは、低所得者層のおれが坂道を下っているということだ。さらに低いところに向かっていって、そこでおれはタコ焼きをひっくり返すやつで誰かの腹をぶっさすのか、自分の喉をぶっさすのか、いずれかという、そういう問題だ。どこにも光はない。今後おれの人生が輝くことがあるだろうか。まったく想像できない。それゆえに、この映画ですらおれには眩しいのだ、まったく。

_____________________________________________

……原作も読んでみようか。