- 作者: 佐藤泰志
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2011/05/07
- メディア: 文庫
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「きみの鳥はうたえる」(とインターグランプリについて)
ふたりでいるあいだ、静雄がたとえ、ひとことも口をきかなくても、僕はあいつの肉体が植物のように苦にならなかったろう。女といてもそんな気持ちはめったに味わえなかった。だから、静雄は、ぼくの友達だったのだ。
主人公と、同居する友人と、一人の女の奇妙な三角関係が描かれている。三角関係というより、おれの大好きなNTRではないかという気もするが、そういう感じも薄く、奇妙な関係としか言いようがない。とはいえ、その奇妙というのも、登場人物たちの淡々とした、どこか決定的にすれ違っているような印象の中にあって、ひどく感情的に爆発しているというものでもない。逸脱というのか、脱落というのか、よくわからない。クールなのかもしれないし、枯れているのかもしれない。あるいは、作者の頭の中で良きものとして想像(創造)された人間関係というものかもしれない。そこが佐藤泰志の味なのだろうとも思う。地の文で会話が始まってから「 」に行く佐藤泰志流のやり方も見られた。あるいは、『そこのみにて光輝く』に通じるような部分もあった。
そしておれは、あまり本編とは関係ない、こんな箇所をメモしておく。
僕ら三人が、夏が終わってもこんなふうで、週末に混雑した競馬場のなかを歩いている光景を思うと、それだけで気持がよかった。あれこれ予想をねり、ゲートがひらくと観覧席から身を乗りだして、声をからし、僕らが肩入れした馬を声援する。最後のコーナーをまがり、直線にさしかかると、行け、行け、と僕らは叫ぶ。そうでなければすでに結果の見えてしまったレースにがっかりして溜息をつく。馬たちは走り、ゴールを突っきる。僕らの周囲でおこるどよめき。ラジオの実況中継に熱心に聞き入る男。ニ―四だ、ニ―四だ、と叫んで喜ぶ男たち。騎手を罵る声。オッズ板に配当金がでるとふたたび、どっとあがるどよめき。
こいつ(作者)は競馬をやっているな、と思わずにはいられない。ドラマや映画の競馬シーンなどで、観戦者が揃いも揃って「行け、行け」などと最後の直線で叫んでいる手抜きの演出を見ると白けてしまう。そうだ、最終コーナーで絶望するやつは一言も発さない。ため息ついてどうでもいいやという気になっている。それに、「そのまま!」と叫ぶこともあれば「差せ!」と叫ぶこともある。いろいろなのだ。
さらにはこんな記述がある、
「日曜日に地方都市で開催されたレースで、強い馬が走ったよ。馬体が五百キロの、黒い、みるからに強そうな馬だ。誰がみてもそいれは一着でくるという馬だよ。当然、一番人気さ。それは大きなレースを勝ち抜いてきた馬なんだ」サラブレッドの話になると静雄はいつも生き生き話した。
「あんたはそれを買ったの?」
「いや、その馬は、春の大きなレースで一着、勿論、次のダービーにも出走したけど、このときは着外さ。でも今度のレースでは、他の馬と比べて格が違う、というのが予想屋たちの意見だった。無論、そうだろう。他の馬はほとんどダービーにも出走できなかった馬たちだからね。雨が降って重馬場ならなおさら、という予想だ」
「あたしならその馬にするわね」
さて問題です、「その馬」の名前はなんでしょう?
答え。
「でも僕は違う。一枠に、インターグランプリという馬がいたよ。デビュー当時はみんなに期待された素質馬だ。でも勝てない。オープン馬にもなれない。五百キロの一番人気馬が同じ四歳馬で、才能を開花させた馬なら、この馬はまだ開花できない馬だよ。僕はこう考えたんだ。きっとこのレースで、インターグランプリが勝つと思った。ここで勝って開花するんだ。今日はそのためのレースなんだ、と思ったのさ。でも結果は、その五百キロの馬が直線で差し込んで一着、インターグランプリは二着さ」
「残念だったわね」と佐知子が静雄をじっと見つめていった。「あたしも、そんな馬の選び方なら、競馬が好きになりそうよ」
「静雄のは感傷馬券というのさ」と僕はいった。
というわけで、みなさんお分かりの通り、「五百キロ」の馬は……って、おれも検索しなきゃわかんなかったさ。
ハワイアンイメージ(1977年5月22日 - 1990年10月14日)とは日本の競走馬である。1980年の皐月賞に優勝。ほかの重賞勝ち鞍にラジオたんぱ賞と福島記念がある。八大競走に連なる路線よりも、ローカル開催[注 1]やダート競走を転戦した異色のクラシックホースである。最高570キログラム台の巨体の持ち主で、ダート・重馬場を得意としたことから「重戦車」の異名を取った。主戦騎手は増沢末夫。
ダービーではオペックホースの14着。皐月賞馬が福島のラジオたんぱ賞に出るのは珍しい。して、インターグランプリとはどのような馬であったか。ネット上にもその情報は多くない。ただ、種牡馬になったことは確認できる。
脚元が弱く大成できなかったが、新馬戦では7馬身差の圧勝。
旧4歳夏のラジオたんぱ賞では皐月賞馬・ハワイアンイメージの2着がある。
門別で供用されていた。
はたして、佐藤泰志はインターグランプリに己の姿を投影していたのかどうか、おれにはわからない。だが、そうであってもおかしくはないように思える。かたくなにハワイアンイメージの名を出さず、インターグランプリの名だけ出した。インターグランプリはタイトルを獲れなかったが、種牡馬にはなれた。佐藤泰志もなんども芥川賞候補になった(「きみの鳥はうたえる」もそうだ)が、重賞には勝てなかった。ただ、映画『海炭市叙景』を、『そこのみにて光輝く』を生み出した。もっとも佐藤泰志死後のことではある。
「草の響き」
近づくと雀は地面からすばしっこく飛びたって巣から落ちた仔雀でないことを知らせたが、もうひとつの生き物が短い雑草の根元でもがいていた。走り抜ける時一瞥すると羽を一枚もがれて腹を見せている蝉だった。今おまえを襲っているものがめぐりめぐって僕にまでやって来る。だからこうやって朝晩僕は走っていなくちゃいけないのさ。
……蝉はもがいていた。片羽で地面を叩いていた。ランニングシューズの爪先で、草の奥へ入れてやった。それで、雀か鴉に見つからない可能性がふえるかどうかはわからなかった。
こちらは「左翼政党の日刊新聞を発行している印刷所の文選の作業場で仮名屋の仕事」をしている主人公が、自律神経失調症になり、その治療のためにひたすらに走る話である。これも著者の佐藤泰志が自律神経失調症であったことから、リアルな背骨があるといっていいと思う。思うが、やはり佐藤泰志の描く人間関係というものは、理想にすぎると思えてならない。なぜならば、人間関係というものがほとんど構築できない双極性障害(とはジプレキサを処方するための仮の病名で、とりあえずなにか広範囲にわたる精神障害ではないかと思っているのだが)のおれが、「このような人間関係であれば、いい」と思えるからだ。あまりにもそう思えるがゆえに、ある種のリアリティがない。それはよくもあり、悪くもあり、だ。
それにしてもランニングの話である。どうしても村上春樹のことが頭に浮かぶ。村上春樹と佐藤泰志。おれには評論の真似事すらできないが、対比してみてもいいだろうか。というか、佐藤泰志にはどこかしら村上春樹っぽさもある。ただ、村上春樹が非現実のなにか、無意識に広がるなにかを扱うのに対して、佐藤泰志はひたすらに現実的だというように思える。佐藤泰志の全作品を読んだわけじゃないけど、今のところそう思う。
いずれにせよ、先の競馬シーンではないが、佐藤泰志も走ったのだと思う。おれもたまにジョギングするからわかる。……とかいって、ぜんぜん競馬もしないし、走ってもいなかったら、それはそれで見事なものだ。高村薫は一日競馬場に取材に行っただけで、『レディ・ジョーカー』のみごとな競馬場のシーン(アジュディケーターが勝った日だったか?)を描いてみせた。小説家というのはそういうものだ。とはいえ、自律神経失調症は自律神経失調症である。そして、死は死である。失われるものは失われる。佐藤泰志はすでに失われたものである。と、同時に残された作品はあり続ける。読むものがあるかぎり失われないのだ。
なぜ彼が走っているか、など。くる日もくる日も、なぜ、走る必要があるか、などと。