岡田総帥の死は夢の終わりか?

金曜の夕方だった。ふとYahoo!のトップページを見た。そこに、岡田繁幸死去のニュースが載っていた。おれは思わず、「え、岡田さん、死んだの!」と、ちょっと大きな声を出してしまった。

遠くの方から(リモート枠などで社内はガラガラだ)、「誰が亡くなったって?」と聞いてきた。が、競馬を知らない人に岡田繁幸をどう説明していいものか、まったく見当がつかなかったので、「あ、いえ、べつに……」と答えた。やりとりは終わった。

とはいえ、たとえば去年からはじめた初心者や、『ウマ娘』などで競馬を知りはじめた人に、おれは岡田繁幸という人物を説明できるだろうか。「なんで『総帥』なんですか?」……うまくできないような気もしてくる。とはいえ、やはり競馬歴が二十年を超えるおれは、その訃報に声をあげる。それだけファンに馴染みのあるホースマンだった。

金曜の夜だったので、おれは東スポを買って帰った。夕刊紙とはいえ、まだ紙面には岡田総帥の死は報じられていなかった。ただ、ウェブ版には中村均元調教師の記事がアップされていただろうか。

「マイネル軍団」総帥・岡田繁幸氏死去 〝戦友〟の中村均氏が悼む テレビ出演後に本人から電話が… | 東スポのJRAに関するニュースを掲載

 

そしておれは、土曜競馬の馬柱から「岡田繁幸」の名前を探す。マイネルの馬を、コスモの馬を探す。もちろん、ある。ペガサスジャンプステークスに、トラストが出る。あのトラストは今は障害を走っている。これか? と思った。その場で三連単を買う。

土曜、おれは図書館に行った。二冊本を返して、二冊本を借りた。健康のために歩いた。おそらくペガサスジャンプステークスの時間には帰れないことがわかっていたので、tvkの競馬中継を録画しておいた。アパートに帰り、早速見た。トラストは逃げた。快調に逃げた。これはやれるんじゃないかと思った。競馬にはこういうことがあるのだ、と思った。もう馬券はどうでもよかった。

最後の直線、最終障害をクリアしてトラストがリードをとる。が、外からなんかすごい脚で突っ込んでくる馬がいる。「あ、差されるのか!」と思うと同時に、その勝負服を見て「そうかあ」と思った。差してきた馬の名前はマイネルレオーネだった。

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天国のオーナーにささげるワンツーだ。19日に71歳で亡くなったマイネル軍団の総帥・岡田繁幸氏が立ち上げたサラブレッドクラブ・ラフィアン所有のマイネルレオーネ(牡9歳、栗東・清水久)が直線一気に伸びてV。2着には同氏名義のトラスト(牡7歳、栗東・長谷川)が逃げ粘った。

マイネル軍団……なぜ軍団なのだろうか。よくわからない。よくわからないが、マイネルは軍団だったし、岡田繁幸は総帥だった。日本一の相馬眼の持ち主と言われた。本当に日本一かどうかは知らない。

基本的に、牡馬にはマイネルの冠名、牝馬にはマイネの冠名。ドイツ語で「私の」という意味だ。サラブレッドクラブ・ラフィアンの馬。サラブレッドクラブ・ラフィアン一口馬主のクラブ。おれは貧乏なので一口馬主をやっていないのでわからないが、比較的安い値段で一口馬主になれる。一口馬主というのは……さすがにそのあたりは調べてください。

というわけで、サラブレッドクラブ・ラフィアンは多くの人の夢によって成り立っていた。あるいは打算か皮算用か。

その夢を売ってきた男が、岡田繁幸だった。しかもでかい夢だった。「この馬はイギリスダービーに挑戦させる」と公言することもあった。実際に登録もした。が、マイネル軍団の馬がイギリスダービーに出走したという話はない。それどころか、岡田総帥が夢見た日本ダービーを勝利することもできなかった。というか、マイネルの馬が日本のクラシックレースを勝ったこともない。

でも、G1を勝ったことはある。シーキングザパールタイキシャトルを撃破したマイネルラヴには驚かされた。マイネルマックス佐藤哲三のコンビは好きだった。おれがはじめたころに活躍していたのはマイネルブリッジだったけな。G1勝ってないけど。マイネルセレクトは、ダート短距離に限ればそうとうな馬だったろう。なぜかわからないがマイネルワイズマンという馬を贔屓にしていたっけ。そして、なんとなくマイネルらしくない天皇賞(春)を勝ったマイネルキッツは、今はうちの近所の根岸の公園にいる。

天皇賞馬の公園 - 関内関外日記

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マイネの馬、コスモの馬にもいろいろな思い出があるだろうが、今日はやめておこうか。でも、コスモバルクは人気と話題先行気味で、盛りを過ぎたあとの中央挑戦であまりよく思わない人もいるだろうが、そのせいで逆に実力が過小評価されているような気もする。あと、カーム(セリで3億3,600万円)は調教で大きな故障をする前は、本当に値段に見合った走りをしていたとどこかで読んだ覚えがある。カームが故障をしなければ、あるいは……。

話はつきない。ただ、相馬眼で血統的に注目されない安い馬から活躍馬を見出し、軍団の総帥と呼ばれた男、岡田繁幸。総帥は日本にノーザンテーストサンデーサイレンスも連れてくることもなかった。連れてきたのはイブンベイとかだ。これからどれだけ日本競馬の血統表にマイネルの、マイネの、コスモの名が残るかもわからない。それでも、JRAには「岡田総帥賞」ってレースを作ってもいいんじゃないかと言いたい。なんだろう、おれはラフィアンの会員でもないし、それほどテレビで総帥を見てきたわけでもない。でも、そう思わせるなにかがある。

これから、「この馬はイギリスダービーを目指す」といって、半分「またラッパ吹いてるぜ」と思いつつ、「いや、あるいは」なんて思わせる人間が出てくるだろうか。いや、「武豊に絶対凱旋門賞をとらせるマン」みたいな馬主もいる。どんな馬が出てくるかもわからないし、どんな人間が出てくるかもわからないのが競馬だ。来年のイギリスダービーに川崎の河津裕昭所属で鞍上は丹内祐次柴田大知、そして勝負服は赤と緑って馬が出走しても、おれは驚かないぜ。……いや、驚くか。でも、日本競馬の夢が終わったわけではないんだ。

そんな妄想を楽しませてくれてありがとう、と言っていいものか。さらば、総帥。