それでもサリーは待っていてくれるのか? 

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空から降り注ぐものすべて、おれたちのものではなかった。おれたちのための時代はいつだってなかったし、積み重なったのは苦痛に満ちた言葉たちだけだった。街路樹のイチョウのひこばえが伸びっぱなしなっている。だれも気にせず通り過ぎる。ヘリコプターが飛んでいた。どこかから救急車のサイレンがきこえた。梅雨の中の晴れた日のことだった。とつぜん、カバンの中から10匹のカワウソが飛び出してきた。口々におれたちのことを罵っては、川に飛び込んでいった。10匹のうち5匹はワニに食われた。残りの5匹は海水を飲んで死んだ。死んだ5匹のカワウソの死骸は寿町の老人たちが晩飯にした。塩味がついていた。振り返ってみるとタワーマンションが炎に包まれていた。空から降り注ぐものすべて、かれらのものでもなかった。おれたちの時代はどこにもないのに、気づかないふりをしているだけだった。コンビニのレジのほとんどは中国人のアルバイトだ。しかし、昨日の夜は違った。広島東洋カープがドミニカのアカデミーから連れてきたようなやつだった。名札にもそんな感じの名前が記されていた。ローソンにもドミニカにアカデミーを作ったのかもしれない。商品補充中に「レジお願いします」という同僚のS.O.S.に俊敏に反応する能力。ポンタポイントだけでなく、支払いもクレジットカードにしてほしいという客の思考を盗み取る能力。レジは戦場なんだ。だからかれらはアカデミーに通った。あるものは横浜の港に降り立つ。かれはバラの花が咲いていたことに気づいただろうか。市長選の結果はやる前からわかっている。世の中はわかっている。分かたれた世の中はわかっている。あれにもこれにも名前がついていた。名前がついていないものは、目にうつらないもの、耳にきこえないもの、手でふれられないもの。分かたれていないものがこの空を覆っていて、決まりきったものだけが降り注ぐ。おれの目にはそれが見える、おれの耳にはその声がきこえる、おれはそれに触れて思うのだ。おれは神なのだな、と。神は月曜日にベッドから立ち上がることができず、火曜日に靴紐の結び方を忘れ、水曜日に薬を飲み間違え、木曜日に適当に買った川崎スパーキング・ナイターの馬券を外し、金曜日に醤油を買い忘れ、土曜日は二日酔いで起き上がれず、日曜日の最終レースが終わったあとに「光りあれ」と言った。世界の関節はもうぐちゃぐちゃだった。道路の真ん中に寝そべってみた。バスに乗り過ごしてみた。適切な運行がなされていなかった。おまえたちはいつも適切だったのに、まったく適切じゃなくなっていた。それに気づくこともなく、世界は停止した。そういう設定のビデオをヘッドホンをして見ていたら、画面のなかにおれたちの時代があった。おれは必死にそこに入ろうとした。テレビの液晶画面が割れた。いったいだれがこれを補償してくれるっていうんだ。おれにはわからなかった。これは分かたれていないなにかだった。日曜日の神は最終レースを外したに違いない。あきらめたおれは味の薄いビールのような飲み物にトマトジュースをたっぷりと注いで、軽くかき回して飲み干した。いつかおれが家を建てたら、庭にバクチノキを植えよう。ああ、サクラ亜科の系統分類。バクチノキ属、スモモ属、ウワミズザクラ属、アンズ属、モモ属、サクラ属……。ダスキンの営業が来てマットを交換する。ついでにミスタードーナツの割引券をプレゼントしてくれる。残念だが、あそこにあったミスタードーナツはいきなりステーキになってしまった。だが、ちょっと待ってほしい。ミスタードーナツだって、いきなりドーナツだったはずだ。ステーキになる必要なんてなかった。おまえがドーナツを食べるまえに一口コーヒーを飲む癖があるなんてしらないぜ。なんだっていきなりなんだ。ドアを開けたらいきなりだ。そういう設定のビデオをヘッドホンをして見ていたら、テレビの液晶画面のなかにおれたちの時代があった。おれは必死にそこに入ろうとした。テレビの液晶画面が割れた。中から小さい人が出てきて、もう二度とわたしたちの暮らしを邪魔しないでほしいと言った。懇願といってもいいくらいだった。そういうことは役所に届け出てほしいと言った。あとから少し冷たい対応だったかと反省した。こんなプレーをしていてはローソンのアカデミーから解雇されてしまう。おれは必死にバットでレジを叩いた。叩き続けた。コーチはこういう姿を見て、おれをこの宇宙に送り込んできたのだった。忘れてはいけないこと、かなわなかった初恋のこと、逃げた喧嘩のこと、ゴミの日のこと、ヌンチャク所持が逆転無罪になったこと。おれはヌンチャクでレジを叩いた、叩き続けた。警察官がさすまたでおれの動きを封じた。無線で何事かをわめいているが、おれにはこの国の言葉がわからなかった。それどころか、この宇宙のどこの言葉もわからなかった。「光あれ」と言うのが遅すぎたのだ。Lost Cause。キャスター付きの椅子に登って蛍光管を交換していた。「温泉行きたいよね」とだれかが言った。おれはくたびれた靴下のことばかり考えていた。椅子を抑えてくれる人もいない、取り替えた古い蛍光管を持ってくれる人もいない、だれもいない。なぜなら、空から降り注ぐものすべておれたちのものではなかったし、おれたちの時代はどこにもなかったからだ。神に忘れられた人間たちは一人、また一人と無意味に飲み込まれていなくなってしまった。ドミニカのアカデミーに連絡を。ただし、ただ左手でボールを投げるやつを貴重な中継ぎ左腕と評するのはやめてくれ。左殺しというのは本当に左殺しじゃなきゃいけないんだ。たとえばヌンチャクの使い手だ。いまではヌンチャクの「殺せる」使い手は少ない。左利きも少ない。その打撃を防ぐのは難しい。本当に難しい。それでもおれはこうやって生きている。けれど、すべては遅すぎた。それでもサリーは待っていてくれるのか?