ベーシック・ショットガン・ワールド

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福沢諭吉先生の『学問のすすめ』のこの言葉は有名である。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

だが、これは福沢先生の言いたかったことではない。この文章のあとにはこう続くのである。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。

つまり、「世の中ではそう言ってるけどさ」ということを言いたいのだ。

されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲ととの相違あるに似たるはなんぞや

すなわち、この世は競争の地獄だぜ。だから「学問のすすめ」なんだぜ、と。平等社会なるものが存在していたら、べつに学問なんぞせんでもボケーッと遊んで暮せばいいだけだ。鼓腹撃壌だ。でも、そうじゃないんだ。いまだに。みんな福沢先生のために地獄の競争社会を這いつくばってんだ。

でも、あんまり這いつくばってねえ連中がいるのは言うまでもない。元よりの金持ち、土地持ち、そして、社会の工程において上流をゲットしている連中。コンビニの店長をいじめる本社、下請けを過労自殺させる元請け。世の中、いじめたものが勝ちじゃないか。かれらだけが結婚し、家を買い、家庭を築き、幸せに人生を送れる。それ以外のものは、泥だ、虫だ。

だから、教育の場においては、なにが世の中の工程の上流であるか、そこにたどり着くにはどうしたらいいのか、その具体的な話を進んでするべきなのである。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。だと。正直で、不幸が減るだろう。

とはいえ、そうなっては金持ちの勝ち組だけ万々歳の世界になる。おもしろくない。おもしろくなき世をおもしろく。そこでどうだろうか、全国民にショットガンを配布するのだ。ベーシック・インカムならぬ、ベーシック・ショットガン。これである。これによって、いじめたものが下手をすると顔面を吹っ飛ばされて、棺桶に入れるときどうやって頭を寄せ集めればいいかわからないとか、そういうおもしろいことになる。理不尽な要求、非人道的な強制、そんなことをするいじめっこの個人は、ショットガンを持ったいじめられっこの個人に殺される可能性がある。すべてを失う可能性がある。これで調和がとれる。

それで、ショットガンをぶっ放したやつはどうなるの? 殺人罪では割に合わない。まあ、そのまま暮らしてもいいだろうし、どこか広い広い花畑で、花を育てて生きるというのもいい。好きにしろ。

見えない銃はいらない。

目に見えるショットガンを。