われわれは淘汰されているだけ - 非婚・非出生社会の根源

「生涯未婚率」男性が圧倒的に高いワケ

こんな記事を読んで、やや主題とは違うところに目が釘付けになった。

15年の生涯未婚率は、前述の通り男性が23.4%、女性が14.1%。「団塊ジュニア世代」が生まれる直前の1970年には、生涯未婚率は男性1.7%、女性3.3%だった。

ぼんやりと未婚率は上がっているのだろうと思っていたが、ここまで差があるとは。

というか、1970年の「男性1.7%」なんて、想像がつかない。そこまで結婚していたのか、という。一方で、2015年の「男性23.4%」というと「多いなぁ」と思ってしまう。

むろん、いずれの社会が正しい、あるいは誤っているというわけでもないだろう。ただ、もう社会が違ってきてしまったというだけなのである。その中で、個々人が社会に適応してそれぞれの選択をするだけのことなのだ。

して、思うに男性未婚率1.7%時代は、いまの基準でいえば結婚に向いていない人間まで結婚して(あるいはさせられて)いたように思えてならない。そして、社会に適応できないという不幸を再生産するように、社会に適応できない多くの人間が生産されてしまったのだろう。

その結果、社会に適応できる人間もできない人間も大勢いる国になった。あるいは、それでも生きていけたという点では、今よりも生きやすい、おおらかで雑な部分もあったのかもしれない。もちろん、ある社会的弱者、被抑圧者にとって生きにくい社会であったのかも確実である。

そんな社会が長続きするかといえば、そんなことはないだろう。社会により適応できる人間が社会そのもののルールを作る側に行くからだ。政官財どこでもいいが、より適応するものが社会の仕組みを、ものさしを作っていく。かれらがより生きやすいように作り変えていく。かれらに似た形質を持つであろうかれらの子孫のための社会を作っていく。

一方で、もとより社会に適応しにくかった人間は、より生きにくくなるのは当然の帰結というものだ。社会に適応できる人間がより適応できる人間にとって生きやすく作り変えられていく世界の中では、そういうことになる。

かくして、適応しにくい人間の居場所は社会からなくなり、結婚も子を残すこともできなくなる。適者生存。これを自然と呼ぶか、人為と呼ぶかおれにはわからない。だが、良し悪しではない、そういうものなのだ。

というわけで、おれの親も結婚にも出産にも育児にも向いていなかったのだろうし、おれは立派に社会に適応しにくい存在になり、精神疾患を抱えた独り身で社会の底辺を這いつくばって、孤独死するよう宿命づけられているわけだ。あるいは、その前に自死するか。

良し悪しではない、これぞ自然の摂理なのだから仕方ない。あらゆる国で似たような過程を経て、人類は順調に減っていくことだろう。地球的大規模災害だの、世界大戦だのがあれば、べつの力が働くことになるだろうが、大筋ではそうだろう。

……などと似非社会ダーウィニズムみたいなことをつらつら書いてしまったが、淘汰される一個体の戯言、聞き流されるようお願い申し上げる。

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