小田嶋隆『上を向いてアルコール』を読む

 

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

 

 おれはアルコール依存症なのか、そうではないのか、おそらくそうなのだろう。アルコール依存症は否認の病というか、おれはおれをアルコール依存症と認めたがる人間である。いつだったか、「月曜日から木曜日までは禁酒日」とか書いたような記憶もあるが、もうそんなのはすっかり忘れた。おれは双極性障害からくる、あるいは別のところからくる不安感を消すために、アルコールを摂取する、摂取する。そして、飲んで幸せになるかというと……。

 でもじゃあ飲むと陽気になるのかというと、別に明るい気持ちになるわけでもありません。酒が切れて憂鬱な状態と、意識の混濁した泥酔状態との、その振り子のあいだに一瞬だけ訪れる、ほんのちょっと気分がいい状態というのがすごく好きだったわけなんですね。当時は。

 うーん、これともちょっと違うか。抗不安薬が切れて、あるいは効かなくて、その代用品としてのアルコール。飲んだところで「いい気分」ではなく「普通」。これがおれにとってのアルコール摂取である。だいたいストロングゼロ500mlと数ショットのストレートのテキーラが必要な模様。

……というのを、「ごまかし」と指摘しているところが、おれにとっては新しい知見であった。

 危機感はあったんでしょうが、抑鬱、つまり非常に憂鬱だってことを言い訳にしているところは絶対にあるんですよ。

 アルコール依存者について「緩慢な自殺」という言い方がありますけど、あれは緩慢な自殺だっていう設定で自分をごまかしているというお話です。これは、飲む人の間にはおそらくある程度共通している心理だと思います。

「ごまかし」、「設定」、これである。

まず、「飲んじゃった」が先にある

 なんでアル中になっちゃうんでしょうね? 私もさんざん訊かれました。みんな理由を欲しがるんですよ。その説明を欲しがる文脈で、アル中になった人たちは、「仕事のストレスが」とか、「離婚したときのなんとかのショックが」とか、いろんなことを言うんです。

 だけど、私の経験からして、そのテのお話は要するに後付けの弁解です。

ふーむ、なるほど。おれの場合も、精神疾患が先にあるのではなく、「飲んじゃった」アルコールによって、酔って、大脳を破壊された人間の悲惨な末路を歩んでいるということか、という。むろん、双極性障害アルコール依存症に相関関係があるとはいえ、おれがそういう「設定」を選んでしまい、それを「弁解」として酒を飲んでいる、という見方もできる。それは面白い、と思った。

思ったところでどうしよう。アル中エリートの久里浜に行くか? 行かない。なにせおれは、「逸脱行動」をしていない。幻聴も幻覚も見ない。だいたい外で限界量まで飲むということがないから、あまり突飛なことはしない。一人暮らしのアパート、狭い部屋で一人、度数の高い酒をストレートであおり、そこで起きる最大の失態といえば「座椅子で寝てしまった」くらいのこと。たまに転んだりもするが、出血まで行きはしない。だいたい、座椅子で寝ても、明け方目を覚まし、ちゃんと歯磨きをしたうえでベッドで二度寝する。

要するに、おれには底打ち体験が足りない。酒に酔って大声で「愛馬進軍歌」を歌いながら本牧を闊歩したとか、そういうことがない。二日酔いのようななにかで午前中会社を休むとかいうことはあっても、一日バックレることもない(半日でも十分か? けど、零細企業ゆえに人がいない場合は絶対に出る)。中途半端だ。

というわけで、おれが本格的に断酒に挑むのは、おれが自身で底を打ったと思うところからだ。水すら飲めない、点滴で回復しないと動けない、そういうレベルだ。そこまで到達するまでは、おれは抗精神病薬と同じ意味でアルコールを飲み続けるだろうし、それによって生きることへの不安から逃れようと思う。そもそも生まれてきたことが間違いだったのだ。アルコールを飲むていどの間違いなんて、たいしたことがあるわけでもない。以上。

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