ナリタブライアンが3冠を成し遂げた一戦で、スティールは大逃げを打った。残り1000メートルでも2番手に3秒差。最後は“歩いて”4秒4差の14着に沈んだが、レース中盤の場内の大歓声はブライアンではなく、この馬に向けられたものだった。関西テレビ・杉本清アナウンサーの「プリテイキャストを思い出させるスティールキャストの大逃げ」という実況は、何よりの勲章だっただろう。吉田さんは「猛烈に逃げましたね。3角でアッと思ったけど、ぴったり止まった」と懐かしそうに振り返る。
おれが競馬という偉大にて深淵、底知れぬ沼に取り込まれたのは、このスティールキャストの大逃げであった。何回か日記に記してきた。
私が競馬をはじめた訳/ファインモーション引退 - 関内関外日記(跡地)
私が初めて意識して競馬のレースを見たときの話をする。そのレースは、ナリタブライアンが勝った菊花賞である。そのときの私はナリタブライアンの名も、菊花賞というレース名も、三冠馬の意味も知らなかった。当時、競馬にはまった友人が、毎日競馬の話をしてくる。そこで、たまたま日曜にチャンネルを回していて「ちょっと見てみるか」と思っただけである。では、ナリタブライアンの走りに感動して競馬にひかれたのか。いや、違う。スティールキャストである。
スティールキャストはぐんぐん逃げた。逃走も逃走、大逃走である。競馬を知らない私にも、これは何か異常なことだと思った。その時である。実況アナが「母プリティキャストを髣髴とさせる大逃げです」と言ったのだ。私はそこに、競馬の深淵を垣間見たような気がした。単に名前のついた動物が走っているだけではない。その背景には名前と個性を持った父と母がおり、その父と母にも……。
……しかし、あのときアナウンサーがスティールキャストの母プリティキャストに触れなかったら、俺は競馬ファンになっていなかったかもしれない。今後もしも馬券を買わなくなり、他の競技に流れるようなことがあっても、あのとき感じた打ち震えるような思いは消えないし、その点で競馬は永遠だ。ちなみに、そのレースを勝ったのはナリタブライアンとかいう馬だった。ナリタブライアンにとくに思い出はない。
◇角田師(騎手時代に菊花賞でスティールキャストに騎乗)懐かしいですね。森先生から「後続を離して逃げてくれ」という指示があったのを覚えています。向こう正面で後ろを見たら誰もいなくて、スタンドが沸いていた。テレビ馬じゃないけど、昔はああいうレースをする馬がいましたね。
おれはそのころ、杉本清も角田晃一も知らなかった。だが、そこにはスティールキャストが大逃げを打ち、実況はその母プリテイキャストの名前を出した。おれはそこに深淵を見出した。決定的な一瞬だった。人生において決定的な一瞬というものは、数えるほどしかないだろう。あるいは、まったくその瞬間を得ずにこの世を去る人もいるだろう。だが、おれにはあの、スティールキャストが大逃げを打ち、杉本清が「母プリテイキャスト」の名前を出したときこそ、ひとつの決定的な瞬間だった。おれの人生は狂ったのだろう。おれが競馬で負け続けるきっかけになったのだろう。だが、なにものにも代えがたい瞬間だったと、そう思いたい。思わせてくれ。
「正直な話、地方に移籍した後の行方は分からなかったんですが、縁があって10年ぐらい前に帰ってきました。年を取ったことで肉が落ちているし、歯も悪くなったけど、元気ですよ」