おれは柿の木を救えない

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土曜だったか日曜だったか忘れたが、午前中から近所でチェーンソーのような音が鳴り響いていた。少しドアを開けてみると、近くの路地、家族総出で家具を分解していた。家具を分解して、粗大ごみから一般ごみに変化させていた。

その家具の出どころである民家、民家といっても人が住んでいるのかどうかあやしい。空き家のような気もする。しかし、たまに人の気配もした。よくわからない。

民家は生け垣に囲まれている。なんの生け垣かというと、いろいろの植物によって構成された生け垣だ。モッコウバラが咲いていたり、オトメツバキが咲いていたりする。レンギョウの類もあったろうか。

それよりも、一番の大物はカキノキだ。立派なカキノキで、秋には果実をつける。その果実を求めてやってくる鳥の写真を撮りもした。

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上の日記によれば、そのころは老夫妻が住んでいたようだ。いずれにせよ、そのカキノキは秋になれば果実を実らせ、春になれば本当に透き通るような薄緑色の若葉をつけるのであった。おれはそれまで、カキノキの新緑の、本当に美しいことを知らなかった。

そのカキノキの運命が怪しいように思える。今、一生懸命、古い家屋から家具を持ち出して、分解している家族と、元に住んでいた人たちの関係もわからない。家族だったのかもしれないし、赤の他人かもしれない。いずれにせよ、おれは奇妙にして整ってもいた生け垣が無残にも切られているのを見た。それを見ておれは、このカキノキも伐られてしまうのだろうという直感があった。さすがに素人が伐り倒すには大きすぎる。いずれ、造園業者か解体業者か、それを兼ねる業者が来て、あっという間に無くしてしまうのだろう。

おれはそれに何も言えない。言う権利は一グラムも一ミリメートルもない。それは他人の所有する敷地の中の、彼らが有する庭木にすぎない。近所の人間が、なにを言えようか。やがて生け垣が完全に潰され、カキノキは伐られ、真新しい二世帯住宅などが建ったところで、いったい何を言えるというのか。おれには何も言う権利はない。

思えば、おれが鎌倉の実家を失ったときも、たくさんの植物が死んだ。それこそ、カキノキもあった、アカマツムラサキシキブ、おれの誕生を記念して植えたというムラサキハシドイ、玄関先に丸く仕立てられていたサツキツツジ。実家が失われて、全て平らになって、すべて死んだ。

すべては、おれに庭を持つ甲斐性がないのが悪い。おれに庭付き一戸建てを持つ能力がないのが悪い。良いものは、庭付きの家を持つものだけだ。それ以外のものは、追憶の中の植物のように、このカキノキのように、伐られて死ぬだけだ。とはいえ、庭のない人生にどれだけの意味があるだろう?

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柿で検索したら出てきた。