日夏耿之介の言うこと

こないだ金子光晴の随筆かなんか読んでて「やっぱ日夏耿之介だよな」みたいなこと言ってたから、「日夏耿之介、読んでみるか」って思ったのよ。でも、詩集ちょっとめくってみたら、「あかん、これ、おれの国語能力では読めん」ってなったの。まあ、読めないものは読めない。おれは国語と算数では国語が得意だけれども、国語で日本の一等賞になったことはないんだ。

で、しゃあねえなあと思っていたら、エッセーのコーナーに日夏耿之介の名前を見つけた。

 

日夏耿之介文集 (ちくま学芸文庫)

日夏耿之介文集 (ちくま学芸文庫)

 

これもちょっとめくってみる。すると、いいことが書いてある。

「落日を漁る少年」 

 小学生の頃は――

 学校がいやでならなかった。なぜ、あのやうに下等で、意地わるな横着な子ばかりゐて威張つてゐる小学校などといふ処に通はねばならぬのかといつも心に嘆息してゐた。

 それよりか家にゐてねころんで、夏ならば水羊羹、冬ならば花林糖のやうな菓子を喰べながら、愛読する本に読み耽つて、その世界にぢりぢり這入り込んで、その善良な住民となりおほせ、その空気を十分肺に吸つて、彩色した餅を喰べてゆかれるやうなそんな浪漫的な世界に夢中になつて、この汚なくて没義道で浅猿しい現実の人生には冷たくそつぽを向いてくらしてゆく程世にもたのしいことはないと考へた。勉強しないから勿論優等ではないかつた。数学が大きらひであるといふことは、我々如き者の凡そ常道であるが、これには少し註解がいる。

 

立派なひきこもり気質がある。おれも学校など行かず、家で寝転んで漫画でも読んでいるほうが、どれだけすばらしかったか。そして、数学が大嫌い、まったくいいじゃないか。で、註解とはなにか。

 わたくしが算術がきらひであつたのは、あの真四角な実証の世界のなかで、このたましひを6にきめたり8にねぢ曲げたりして、空想のゆとりが少しもないことが神経に苦痛であるからいやであつたので、或る時は3と7とが21になるといふやうな、はつきりと正しい答へが、自分の生に於ける良心に対し(良心に照し)実にうれしかつたことは是又争へなかつた。そんな悦びはあるものの、沸々と沸き起り止め度もないわたくしの無限の空想のエネルギイを、無残にも中途でちよん切つてへし折つて、あのきちやうめんな数学的実証の四畳半へ無理にも嵌め込む押し込むといふことが耐らなくきらひであつた。いやであつた。

これである。おれも、ときどき算数、あるいは数学が好きなこともあった。はっきりとしているものはすばらしい。それは言葉や空想にもないものであって、実証に触れる瞬間というものはなかなかにないからだ。とはいえ、数学というものも高等なものになるにつれて、まったく触れられない、また、ひょっとしたら確かなものでもなくなっていくのかもしれないが。

と、冒頭のこの箇所から、信州飯田の思い出も漱石や鴎外についての記述や、骨董趣味、書籍趣味などもぶっ飛ばして先に進もう(よくわからないので)。

読書についてだ。

 少年の頃、何かに発憤して憤然と井上哲次郎氏の修養書を読んだ事があるが、中には必ずしも大冊を一貫一気に読み通さむと志すに及ばず間々興の去つた際は軟文学の類などを挿んで興をかへて読むべしといふ意味が書いてあり、世に高名の博士の言なれば名言也と思うて胸奥に銘記して今も不思議に覚えてゐるのだが、その後右の本は何がし代作なる由をきき果して然るや今もなほ知らぬのだが、それはどうでもよい事であるが、かの井上氏にしてこの言あるは感心の至りだと感じた事があつた。

 書物といふもの凡て初めから読み通すものときめてゐるの徒はフィロビブロン・クラブの会員になる資格はない。哲学にせよ歴史にせよ小説にせよ中途からよんでも構はぬものが沢山あるし、終りだけでよいものも初章だけでよいものも初めと終りとだけでよいものもある。気分に伴れ、気候に従ひ、場所により、あるいひは科学がよくあたまに入る時あり、考証が呑みこめる時あり、随筆が一等向く時もある。

『書斎と読書』昭和十六年十月

 これはいい。おれも図書館で何冊か本を借りるときは、小説、サイエンスもの、エッセイ、将棋の参考書、なんだかわからないもの、などとバラバラに借りる。気が向いたものから読む。読まないで終わることもある。そんなものである。そして、この『日夏耿之介文集』も適当なところから読んだのである。冒頭に引用したのは本書の最初だが、次に目に入ったのは最終盤の次の言葉だった。

 詩歌の翻訳といふと、からきし詩の感覚のない何々教授などの手合に限つて浅猿しくも手をつん出すから、大部分の訳詩は乾からびたパン屑を紙上に墓地のやうに立て列べたものになる。

手厳しい。

 

 

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唐山感情集 (講談社文芸文庫)

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大鴉

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日夏耿之介詩集 (新潮文庫)

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