COVID-19について要約されざるものを書き残そう

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現下、新型コロナウイルス流行中、COVID-19対策中。

さて、これは後世にどう評価されるのだろうか5年後、10年後、30年後。

まだ、人々はCOVID-19と戦っているかもしれない。「昔はミュージシャンが直接お客さんの前で演奏することがあったのよ」という未来があるかもしれない。「昔は、三競オート以外のプロスポーツもあったんだ」。

一方で、なんらかの収束を迎える可能性もある。ワクチン、薬の開発。もしも、そのような世の中になって、何十年か経って、今、この、2010年を振り返ったとして、どう評価されるのか、感じられるのか。今現在、どうでもいいことかもしれないが、おれは少しそんなことを想像する。

そこで、われわれの今現在の行動に対して、「こんなに致死率の低い感染病について、過剰な恐怖を抱いたために、経済をぼろぼろにしてしまった」という意見が出てくるかもしれない。今だって出ている。自らの問題でなくなった後世からは、そう見られる可能性が低くないと思う。「この程度の病気で、世界をガタガタにしてしまうなんて、どうかしているんじゃないのかい?」。

さて、おれにはそれに対して応える言葉を持たない。というか、現時点ではどうなるかわからない。わからないが、「こんな致死率で」と言われる可能性は低くないように思える。おれが何十年あと生きているかどうかあやしいが、そう問われたとき、どういう回答を持ちうるのだろうか。

おれには、はっきりいって、よくわからない。

かつて、詩人の田村隆一は『戦艦大和ノ最期』を記した吉田満について「要約されざるもの」と書いた。おれらのような、単なるひとつの人間にできるのは、せいぜい「要約せざる」言葉を書き残すくらいではないか。それは、昨日と今日で言ってることが矛盾しているかもしれないし、基本的な認識に間違いがあるかもしれない。それでも、大きな視点からは4/8が1/2にならないような、1/1であるような。

もちろん、人間か、AIの目によって、それは約分されてしまうかもしれない。それでも、やはり人間が、AIの目によって、約分せざる言葉、要約せざる言葉を残す、そのことに意味がないとは言わない。だから、どんなしょうもないことでもいい。納豆が売り切れているとうことでもいい。とにかく、書き残そうぜ。この、コロナの時代が終わって、時間が経ったあとの人たちのためにも。なによりも、今、生きる、おれたちのためにも。

 

 

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

  • 作者:吉田 満
  • 発売日: 1994/08/03
  • メディア: 文庫