毎日キムチ鍋を食べる毎日です。

 俺は昔から鍋物が好きだった。しかしそれは、皆でわいわいがやがやつつく、みたいな鍋ではない。一人で地味に好きな食材を入れ、味付けをして、もくもくとつつくのが好きなのだ。だから、実家暮らしのころなど、家族が食べ終えた後、延々と一人で鍋を食っていた。特に、何を入れようが受け入れてしまうキムチ鍋が大好きで、よく「キムチ鍋なら毎日食べても飽きないよ」とうそぶいたりしたものだ。そして今、六日間連続でキムチ鍋を食べているのだけれど、全然飽きないので我ながら呆れている。
 きっかけは何だったか。寒かったからかな。白菜とニラなんかが偶然安かったりしたというのもあったかな。それで、他にも安い食材を買ってはちびちび付け足していくのだ。だんだんダシが深みを増し、秘伝のスープ気分というわけ。白菜は半分カットのものを買ったのだけど、これが全然無くならない。肉ははじめ安い鶏肉で、その後おでん用の牛すじ肉、鍋用豚肉と変遷。特売のマイタケ、小ネギ、お好み焼き材料のあまりのキャベツなんかも入れた。肝心のキムチ要素はエバラキムチ鍋の素と、CGCブランドの白菜キムチ。あと、適当にしょうゆだのみりんだのを、本当に少し入れたりしてる。
 しかし、なんといってもオススメしたい具材がある。納豆だ。キムチ鍋に納豆。単なるキムチ納豆でも禍々しいオーラがあるというに、キムチ鍋に納豆である。これはもうどこの地獄から出てきたのかわからないようなエナジーを放つ代物になる。このネタは父親がどこかから仕入れてきて、実家でも入れていたけれど、母はその際かならず自分の分を避けていたものだ。いや、母はキムチ自体苦手にしていたから、味付け以前に避けて水炊きみたいにしていたっけ。まあ、そんな風に家族の鍋を別離させるほどのインパクトはある。しかし、納豆とキムチの匂いが混ざり合い、スープに独特の粘りを生み、なおかつ豆の一粒一粒も美味しいのだ。これをやらない手はない。もちろん、味ばかりでなく精力も付くだろうし、血液だってサラサラになるはずだ。ここらあたり俺の思い込みに過ぎないけれど、何せそんな気分は味わえるはず。
 そんなわけで、毎日お好み焼きを食べる毎日な俺も、今は毎日キムチ鍋を食べる毎日である。問題は主食で、炊飯器がない以上パックのご飯に頼らざるを得ないのだけれど、ちょっと割高かなとも思う。めん類の投入など、更なる改良を加えていこうと目下検討中である。