『義経』の感想

 やっと徘徊少年を辞めて、真面目に旅人になった滝沢君。しかし、都徘徊時の黄緑色の衣も派手だったけれど、旅する衣装も白くてピカピカ。やっぱその、そういうのがカリスマ性だろか? で、冒頭に古地図なんか出しちゃって、長い旅の予感も盛り上がる。……が、わずか四十五分後には「奥州到着三日前」。あれ、なんやその短さは。ただでさえ盛り上がりどころの少ないストーリー、旅道中くらいはなんかこう、どうにかもうちょっと、とはならんのか。
 そもそも、犬・猿・キジじゃあるまい、お供も簡単に増えすぎだ。今日日のテレビゲームだって、いや、昔のテレビゲームだって、旅の間に仲間が増えるとなれば、一山二山あるもんだ。だいたい最初に仲間になった弁慶だって、唐突に登場して助太刀→家来に、って簡単すぎだ。いや、今までさんざん長かったのだけれど、その割にあっさりというか。後の二人も、なんかありがちというかなんというか、どうもなぁ。そりゃ南原清隆うじきつよし、役作りというか演技も無難だったのだけれど、これまたなんというかありきたりというか。
 しかしまあ、これが本来の大河ドラマなのかもしれない。奥州直前で急に金売り吉次が「平家に下りましょうぞ」などと清河八郎みたいな大転回をしてはいけないのだ。そういえば、『利家とまつ』(信長の「で、あるか」しか記憶がない)、『武蔵』(「おつう!またやん!」と主人公が叫んでいたことしか覚えていない)なんかも、たまに気がついたら見る、程度のものであり、面白いとは思わなかったが、こんな風にあら探しすることもなかった。つまり、あまりマニアックでなく、シンプルなキャラとストーリーが求められているのだ、きっと。去年の『新選組!』が視聴率的に苦戦したのもその辺なのだろう。
 と、なってしまうと、もはや毎回『義経』を見るのもむなしくなってしまうわけだ。ただ、せっかく奥州まで来たのだし、またうつぼのお兄さんが出てくるかもしれないから、もうちょっと見てみよう。たぶん。