『2010年宇宙の旅』を読んだ

《2010:太空漫遊》(2010: Odyssey Two)是一本科幻小說,是整部太空漫遊系統的第二部,由亞瑟·克拉克於1981年撰寫此書,1982年出版。其後於1984年,由導演彼得·海姆斯改編成電影《威震太陽神》

2010太空漫遊 - 维基百科,自由的百科全书

太陽からはるか遠く離れた木星の衛星エウロパの海に、魚のような生命体が生息している可能性があるという。エウロパは氷の外殻に覆われているが、地下の全域に深さ160キロの海が広がっていると考えられている。ちなみに衛星表面に陸地は存在しない。この海に従来モデルで想定されていた値の100倍の酸素が含まれているという画期的な研究結果が発表され大きな論争を呼んでいる。

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=58116451&expand

 奇しくも『2001年宇宙の旅』を読んだ翌日に、この記事を目にした。そして、ブックマークのコメントで交わされる『2010』、「モノリス」……。なんという宇宙的偶然、というわけではないけれども、ともかく読まねばと思い読んだ。
 えーと、おもしろかったです。おしまい。……ではないか。いや、ちょっと心配した。最初に、ロシア人乗組員たちの人物描写がちょっと出てきたりして、「あれ、ハードから逸れていくの?」というような懸念。『星を継ぐ者』の解説に、鏡明という人がこんなことを書いていた。

ニーヴンは、結局は、小説を書くのかもしれない。当初のアイディアや科学や技術の存在が、ストーリー展開の中で、急速に輝きを失っていくのを、ニーヴンの長編では、しばしば経験する。ストーリーが、ついに全体を支配していくわけだ。

『星を継ぐもの』ジェイムス・P・ホーガン/訳:池央耿 - 関内関外日記(跡地)

 えーと、ニーヴンは関係ないけれども、そういう感じ。『宇宙のランデヴー』シリーズも、そんなところがった。が、しかし、『2010年』は……踏みとどまった。そう思える。それなりに、メロドラマティックではあるかもしれないが、それはそれでいいじゃん、というあたりで。
 いや、たとえば、この種のSFが「人間とはなにか」というところに突き進んでいけば、そこにこの人間存在の、矮小な、しょうもない、個々の人生、記憶、生活もあって、というところもあるんだろうけれどもね。そのへんを、ぐわわーん、ぼかーんと描ききったのは、半村良の『妖星伝』かなとか思うのだけれども、まだ昨日今日『宇宙の旅』シリーズを読んだ人間にそのあたりのことを言うまでのなにかはない。
 で、えーと、『2010年』のよかったところ。そうだな、チャンドラなんとか博士はよかったな。HAL9000な。あと、えーと。なんか、「いいところ」ってネタバレのような気がして書きにくい。いや、今さらネタバレ云々の作品じゃねえだろうということもあるだろうけれども、少なくとも俺にとっては昨日読んだ作品だし、2010年まではあと1ヶ月と10日くらいあるし。
 しかしなんだ、なんかあれだな、今回は中国が大活躍(?)するんだけれども、日本は出て来ないな。覚えているかぎりで、なにかの部品について「日本製の」がひとつ、場所としての「日本海」がひとつ、そんなところ。まあ、なんというか、しかし、有人飛行的な面では、遅れてはいるさ。けど、がんばれ、はやぶさ
 まあ、それはともかく、そんなわけで、さあ次だ、と、『2061年』めくり始めた……だけども、なんだ、なんか訳者が違っていてどうもスラスラ入ってこないところがあって、どうするか思案中。いろいろ読みさしの本はあるし、買い溜めたSFもある。ちょっと考える。

追記______________________

 はやぶさといえば最近の話題。こういうの読んでると、宇宙もののSFとかの、「そんなにうまくいくか?」という素人疑問を、「いくんだよ! そのために計算してんだ!」みてえに、SF作家とか科学者とかに言われているようで、なんとも楽しい。まあ、あのアポロ13号もそんな話だし、宇宙もやばいが人間もすごい。