『魚雷艇学生』島尾敏雄

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第四章「湾内の入江で」より

 とにかく長い長い一日であった。空はおだやかに晴れあがりからだが汗ばむ程であった。その一日をどのように過ごしたかについて余りはっきりした覚えがないのは、たぶん何もしないでぶらぶらしていたからだろう。仲間たちも大方はそうにちがいなかった。特攻志願の問題を語り合う者など殆ど居なかった。

 文庫本の煽り文句によれば「軍隊内部の極限状態を緊迫した筆に描く」とある。が、私がこの作品の文体から受けた印象は、緊迫ではなく透徹であった。よく整理された本棚を思わせるような筆であった。そんな風に思う。けれど、作者の置かれた状況は緊迫した極限状態に他ならないのだ。その極限状態を、無駄にぶれたりすることなく、明晰の筆で描く。そこに極限状態があらわれ、そこに文学の凄味がある。
 作者は文学青年であり、海軍予備学生としても周りより年長者だった。体力や腕っ節に自身があるわけでもなく、周りとも距離を置いて過ごす。任官後も海軍内叩き上げの下士官との付き合い方などに神経をすり減らす一方で、特攻隊志願後は開き直ったような行動に出ることもある。兵装をした誇らしさ、脚に出来た擦過傷、たまの羊羹や煙草の美味さまで微細に出てくる。特攻兵器である震洋艇の、作者が若者のモーターボート遊びとさして変わらぬという訓練の描写からは、一種の爽快感すら感じ取れる。その克明な状況と内面の描写は誠実なものだと思う。だからこそ、この作品は凡百の「反戦物語」、お涙頂戴の「平和への願い的物語」などとは一線を画し、戦争文学の名作なのだ。もちろん、戦争の恐ろしさや愚かしさを考えさせもするが、極限下の人間精神について、そう、人間について多くのことを考えさせられるのだ。
 この『魚雷艇学生』は連作の短編集であり、一冊の長編として読んだら尻切れトンボの感は否めない。ただ、その後についてはこれより前に書かれた作品に遡ることによって追える。これはもう追うしかない。