日本の「禁煙法」はどうなのだろうか?

寄稿いたしました。

blog.tinect.jp

イギリスの「禁煙法」について、最近興味をもっている倫理学の立場からどんなんだろう、みたいな話です。

 

そのあと、こんな本を読みました。

 

 

「受動規制と自由の相克」ときたもんだ。児玉聡先生の部分はだいたいおれがさきに読んだものと同じ。

 

で、ほかの人の意見で、法哲学からの見方についてメモしておく。

 

現在、日本には「禁煙法」はない。イギリスみたいなやつは。ただ、改正健康増進法とたとえば東京都受動喫煙防止条例とかがたばこを規制している。

 

これについて、井上達夫先生がこんなことを述べていた。

井上達夫 - Wikipedia

 

J.S.ミルの危害原則について、危害自体の排除を求めているわけではなく、諸個人に相互的な自制を課すことであるとしたうえで。

喫煙者の喫煙の自由も、この正義の普遍化要請に制約されるから、非喫煙者の喫煙しない自由、すなわちその意思に反して受動喫煙させられない自由と両立可能な仕方で行使されなくてはならない。同様に、非喫煙者もまた、喫煙しない自由への自己の要求は、喫煙者の喫煙する自由の尊重を含意することを理解し、望まない受動喫煙からの自由を超えて、喫煙者の喫煙行為自体を排除する欲動を自制する必要がある。

 

というわけで、分煙が要請されるのだという。が、健康増進法や条例は分煙を超えた「排煙」を狙うものだという。

 

その基準はなにか。LRA基準というものらしい。

 

この問題を考えるために、厳格な違憲審査基準の一つとして使用されるLRA基準(「より制約的でない他の手段(Less Restrictive Alternative)の基準)が参考になる。これは、規制目的を実現するために、規制対象たる自由への制約がより小さい他の手段が存在するにも拘らず、不必要に制約的な規制手段を採用するう規制立法は違憲であるとする基準である。

 

これは憲法に関する話だが、これを再解釈した「法哲学的LRA基準」によれば、改正健康増進法も条例も分煙じゃなくて排煙を目的としてると読める。基準に反していることだ。くわしくは本書をあたられたい。

 

まあ、日本はこんな感じだろう。おれなどは全国に先駆けてたばこに厳しい神奈川県(松沢県知事時代の条例)に住んでおり、その点ですでにたばこを吸っていなかったので、「ふーん」というくらいのものだが、こういう見方もあるので。

 

で、イギリスの「禁煙法」となると、もはや規制の目的自体が「すべての喫煙」なのであって(年齢制限をどうとるのかはわからないけど)、この基準にも反していないだろう。

 

しかしなんだろうね、ついこないだNetflix版の『三体』とか見たら、吸いすぎじゃねえのかというくらいたばこ吸ってたな、イギリス人。こういう表現もざっくりなくなるのだろうか。イギリスの踏み込んだことがどうなっていくのか、たばこ以外にも遡及していくのか、注目したい。