横浜市は脳洗浄の夢をみるか?

 黄金町を「浄化」してしまうような横浜のいうことなので、驚くには値しない。しかし、なにかもやもやするので、もやもやを書き留める。

「市民の半数がアダルトビデオに怒りを覚える街づくり」が横浜市で進んでいる。

アダルトメディアは女性差別か? 思想を押しつける横浜市の男女共同参画事業|日刊サイゾー

 字面だけ眺めていても、なにか怒りを覚えるような気がしてくる。自治体ごときが人間の内面に踏み込んで、その感情を統制していいものか、と。
 とはいえ「怒りを覚える街づくり」なんてほんとに言ってるのかしらん。
 該当部分を探してみた。たぶんここだ。

さらに近年、若い世代における望まない妊娠や性感染症インターネットやゲームソフトなどでの女性に対する性暴力表現・性犯罪被害・性の商品化という人権侵害等が問題になっています。男女が互いに心身の健康について正しい知識を身に付け、尊重しあい、主体的に行動して自分の健康を管理できるよう、健康教育、普及啓発を推進していきます。
(P.33)

http://www.city.yokohama.lg.jp/shimin/danjo/keikaku/third/pdf/soan-all.pdf

 その下に表があって、「成果指標」の項目に「アダルト向けのDVD・ビデオやゲーム等で、女性の性が商品として扱われ、女性の人権が侵害されていると思う人の割合」が「現状地:38.9%」で、「目標値:50%」とあるわけだ。おそらくこの部分をして「市民の半数が〜」というわけなのだろう。
 すこし、誇張があるように思える。しかし、それでもやっぱり俺は横浜市に胸糞悪さを感じる。おおむね、サイゾー記事に同調できるといっていい。

 もちろん、アダルトメディアであっても表現物を世に送り出す以上は「何をやっても自由」というわけではない。ゆえに「表現の自由」とそれにともなう議論は表現活動がある限り永続的に続いていく。その中で、公権力の介入は、またひとつ議論が分かれるところだ。もしも、公権力が「こうあるべき」という姿を規定し、人々を誘導するならば、そこに自由は存在しない。

アダルトメディアは女性差別か? 思想を押しつける横浜市の男女共同参画事業|日刊サイゾー

 自由の問題。
 「アダルト向けのDVD・ビデオやゲーム等で、女性の性が商品として扱われ、女性の人権が侵害されている」と考えるかどうか。正直、俺にはサクっと答えが出せない。不勉強と不誠実をなじられようとも、俺は知識もないし頭もよくないし、ハートもないので、批判は甘んじて受けよう。
 ただ、アダルト向けDVDやエロ本、エロ漫画などを愛好してきた人間としては、ぎくりとするところがあるのはたしかだ。そういう見方があって、考え方があって、それを突きつけられると、無碍にはできんような気にはなる。でも、だからといって、俺がエロメディアを否定するところまでは行ってない。その種の性欲、性的好奇心を上回るまで心に響かないのも確かだ。
 だが、しかしだ。
 それとこれとは別だ、自分の住んでいる自治体に「思え」と言われる(数値目標で掲げられることなので、そう取っていいだろう)こととは。それはもう、まったくかなわんことだ。かんべんしてほしい。「思い」をコントロールされなきゃならんのか。そしてアンケートに答えるなり、イセザキモールたちばな書店に立ち退きデモをするなりして、形にあらわさなきゃいかんのか。そうでなければ、黄金町のように俺は浄化されてしまうのか。
 などと過剰な妄想から話はいくらでもそれていくけれども、俺はそこが気持ち悪い。いや、俺の妄想癖も気持ち悪いが、そうでなくて。公権力が「こうあるべき」という姿を規定し、人々を誘導すること。そこまで行政の領分かよ、と。
 というか、そもそもの話として、たとえば、俺は次のような物言いに少しだけイラッとくる。

 横浜市では、市民の誰もがいきいきと豊かに暮らしていくため、男女が互いに人権を尊重し、社会の対等な構成員として、それぞれの個性と能力を十分に発揮できる社会"男女共同参画社会"を目指して、取組を進めています。

http://www.city.yokohama.lg.jp/shimin/danjo/chousa/21ishikichousa/

 太字は引用者による市民の誰もがいきいきと豊かに暮らしていくための部分。俺、お前から見てそう見えるであろう「いきいき」として暮らしたくはないし、だいたいお前に俺の「豊か」がなんだかわかんの? 武か吉田かとか、そういう話じゃねえよ。……と、多少強引だけれども、そういうところがある。
 昔、小学校の習字の授業で「明るい心」と書かされたことがあった。

俺は「明るい心」と書かされていて、内心なにかひっかかって、むかついて、授業のあと、教室の後ろにはりだされた、一面の「明るい心」を見て、なんかもう一人暗くなっていたのだ。「新しい朝」だとか、「きれいな夕日」とかだったらなんてことないんだ。ただ、「明るい心」を「明るい心で書きましょう」なんて言われながら書かされるのは、心がおかされるような、ずけずけと踏み込まれたような、すごく胸くそ悪いことを強制されたような気になっていたのだ。そうだ、人間暗くたっていいんだ。

「明るい心」 - 関内関外日記(跡地)

 まあ、心がささくれだってる今読むに、「新しい朝」だとか、「きれいな夕日」だとかも否定したいが。
 ただ、だ。
 上の上の引用(市役所の方ね)の後段、「男女が〜」はべつにいいんじゃねえのと思う。「男女」の二択でいいの? というところもあるが、男女共同参画社会けっこうじゃないか。「発揮できる社会」であって、「したくないやつはしなくてもいいけど」なのであれば、などと。こっちはまあ、行政が標榜してもいいんじゃね? みたいな。
 と、ここがもやもやするところで、前段と後段になにか違いがあんのかとか。よくわかんないけど、仮に「女性はずっと家にいて社会に出るべきではない」という強い思いのあるやつがいて、それが後段を読んだら、「ふざけんな」って言うだろう。内心に踏み込むなというかもしれない。けど、逆に「市民の誰もがいきいきと豊かに暮らしていくため」にすごい共感するかもしれない(えーと、「女性は家庭にいてこそいきいきと豊かなのである」という発想で)。
 となると、べつに俺が前段と後段を分けたのも、たんなる好き嫌いに帰結しちゃうかもしんなくて、「それが行政の領分かよ」などというのも、ほとんど説得力が無くなるわけだ。「男女共同△すべきだ」と言われるのも、「アダルト向けのDVD・ビデオやゲーム等で、女性の性が商品として扱われ、女性の人権が侵害されていると思え」と言われるのも一緒じゃねえかと。
 いや、しかし。
 男女同権、男女共同参画が、えーと、それはありじゃねえのってコンセンサス(?)みたいなものがあって、そうなってるわけでしょう。けれども、アダルト向けのDVD・ビデオやゲーム等で、女性の性が商品として扱われることが、女性の人権の侵害とイコールかどうかについて、そこまで行ってないのではないですか、ってところか。
 でも、コンセンサスってなんだ。
 あー、法律かな。そうだ、役所は法律で決まったことを実行すんのが仕事だもんね。となると、元になるは、えーと、「男女共同参画社会基本法」、そんで「横浜市男女共同参画推進条例」か。

第1条 この条例は、男女共同参画の推進に関し、基本理念並びに横浜市(以下「市」という。)、市民及び事業者の責務を明らかにするとともに、男女共同参画の推進に関する施策を総合的かつ計画的に実施することにより、男女共同参画社会を実現することを目的とする。

第4条 市は、男女共同参画の推進を施策の主要な方針として位置付け、前条に掲げる基本理念にのっとり、横浜市における男女共同参画を推進する責務を有する

 まあ、これだよな。でも、条例の中に「市民に、アダルト向けのDVD・ビデオやゲーム等で、女性の性が商品として扱われ、女性の人権が侵害されていると認識させるよう推進する責務を有する」とはひとことも書いてない。書いてあるはずがない。いや、ほかの具体的な文言もない。そういうものではないから当たり前だ。いちいち法律や条例に書ききれない。
 が、それを推進する業務、運用にあたってて、けっこううっかりな感じで「表現の自由」、そして人間の内心(俺、内心の自由というのもちょっとよくわからないところがあるんだけど)に関わる部分をだしてしまったと。あるいは、承知のうえで出してきたと。そこのところは問題だろ、やっぱり。やっぱり、誰か個人が「アダルト向けのDVD・ビデオやゲーム等で、女性の性が商品として扱われ、女性の人権が侵害されている」と言うのと、行政が「アダルト向けのDVD・ビデオやゲーム等で、女性の性が商品として扱われ、女性の人権が侵害されている」と言うのでは意味合いが違う。なにせ行政は堂々とたちばな書店を浄化できる。……いや、たちばな書店に恨みはないというか、俺がたまたまたまにエロ本を買うというだけの話なのだけれども。
 それはともかく、だ。
 一方で、法律、条例となると、「国が」「市が」とばかり言ってられない。立法の方は、おまえ、選挙とかして俺らが選んだものだからだ……ということだよね。たとえ俺が生まれる前に施行された法律でも、俺が横浜市に引っ越してくる前に定められた条例でも、だ。たぶん。それを変えたかったら政治的行動をしろ、ということだ。あるいはマスケット片手に議会を占拠するとか云々。
 話は逸れるけど、法を熟知してないのに法治国家の中で生きるというのは、かろうじて生かされているようなものであって、だいたい常識的に生きてれば大丈夫なようにはできてるんだけれども、なにが起こってもおかしくないわけでもあって、考え出すと怖くなる。司法試験に合格もしてないのに外を出歩いてるやつは、とっとと医者に行け、みたいな。まあ、俺が医者に行くべきだが。だけど、たとえそこが法治国家であっても、べつの国に行くときはいろいろ注意するわけじゃん。ささいなことで銃殺になったりするかもしれない。それが自国内で起こらないとなぜ言い切れる。
 話を戻す。
 と、そうなると、よくわからないが、国民だか市民だかが、これこれこういう法律を作ろうといって作ったものが、くるっと回ってきてなんか自分たちを縛り上げるようなことになると。政治の場、立法の場が自分たちかどうかというと、その実感がないなどというのはシニシズムに堕した態度と言うべきかもしれないが、まあそういうところもあるのだけれども。
 あれ、この構図ってなんかで見た。

 ヘイトスピーチについてのあれやこれやの話か。そうなると、なんかエロゲーがらみでいろいろの意見が出ていたこともあるし、そのあたりと密接にかかわってくることなのだろう。いろいろのひとがいろいろのことを言うものについては、何がしかのなにかがあるものだし、もしそう思わせたいだけの足止め工作だとしても、そういう工作をしたいだけの何かはあるわけだし、またこれはむつかしいものであって、俺はもやもやと考えるだろう。そんなもやもやする馬鹿を「思う」ようにさせるのはけっこうむつかしくて、ちょっと行政言葉じゃ届かねえよってところもあるし、浄化するならその気で来い、人殺しの顔をしろ、と言いたくもなるし、少なくともあんたらの物言いで「思う」に○をつけたりはしねえって、今のところ、それだけはいえる。