人間の集団は醜いと思う病的な俺の『サマーウォーズ』

サマーウォーズ [DVD]

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 昨日か一昨日も書いたけれども俺は人間の集団が嫌いで、べつにそれは嗜好や志向や思想に限ったものでなく、いうなれば家族というのもそうだし、親戚というのもおおいに苦手にするところであって、いい歳してそういうこと言ってたらどんなふうに見られるかも承知で、やはりそう言わざるをえない。
 そういう人間から見ると、ああいう古い大家族の集まりなどは抑圧や同調のクソ地獄にしか思えないし、じっさい旦那の実家の田舎の集まりに帰って「おさんどん」をしなくてはならないことから、胃潰瘍になった女の人も知ってるし、そこにカズマひとりいたからってどうだっていうんだ。
 このへんの歪んだ家族観や人間観にくわえて、さらにいえばこの一家が金持ちだということがますます胸糞悪く、隕石直撃しろとか思うわけだし、ともかく生理的に、あるいは客観的に見れば社会心理学的にどうにも受け入れられないということをまずはっきりさせておきたい。
 そのメンヘルの下から目線で見るとおそらく相当なバイアスがかかっていて、しっかり内容を把握したという自信すらないが、たとえば侘助がな、ぎなたを振り回されるシーンも、「OZで実証するとは聞いてない」とまで言ってるのに、ああされるってことは、やっぱり妾の子だから排除されるのかとしか見えなかったりとか。
 A.I.のやつももっとA.I.然しててほしいところで、べつに「ワタシハネットノ海カラ生マレタ知的情報体デアル。オマエタチ人類ハ……」とかそんなんじゃなくてもいいし、人間にはわからん行動様式みたいのあってもいいけど、たんに好奇心とゲーム好きだけかよというような、たとえば最後の衛星攻撃とか、よくわからねえし。
 あとネット上のバトルだけれども、失敗したら目的(OZの奪還、核被害の防止)を果たせないというリスクはあるにせよ、戦ってる人間に直接のリスクがないというのはどうも緊張感に欠け、そりゃこの作品でフラットラインさせろとは決して言わんが、せめてなんかビリビリ痺れるくらいのことがあれば、身悶えるカズマきゅんとか見られたろうが。
 花札のこいこい勝負というのもべつにいいが、なんか『咲』か『哭きの竜』みたいな勝ち方ばかりで勝負の機微がないというか、どうせルール説明は無理なのは同じなんだから、せめて相手の手札を読んで安手で流す機微とか入れてもいいだろうし、それがおばあちゃん直伝とかでもいいのでは思ったりしたんだけれども。
 そうだ、あのおねーちゃんも、なんかクソ強運の持ち主で親戚花札最強とかいうのならいいけれども、そうでもないようだし、なんというか、作中ふっと消えていたような時間帯があって、侘助への思い、主人公への思いの移り変わりとかちょっとどうかというようなのもあって。
 あと、主人公の数学少年もさ、序盤であんまり自分の家族との関係も描かれていないし、「この大家族がとてもいいと思いました」とか突然言われても、なんか唐突で取ってつけたようで、あらかじめそういう設定だからそう言ってるだけにしか見えないみたいなところもあって。
 家族の力で世界の問題を解決するのはいいが、世界の問題の根源のところに家族があるというような発想は、なにかこう機能不全家族を治療することによって理想の社会づくりを目指します、みたいな、べつにそれが悪いことではないのだろうけど、鼻白むような物言いへの連想などもあって。
 家族というならば、ヴォネガットがいろいろと提示してみせたランダムなつながりみたいなもののほうがずいぶんよいだろうし、あれは出たり入ったり自由だったと思うが、そこらへんがそうとうに不自由な血縁とかいうものになにか解を求めるようなものを見ると、そうだやっぱり俺はしっくり来ない。
 そのへんから言うと、元気玉よろしく世界中の(ネットにアクセスできて危機に対するリテラシーのあるごく一部の)人々が自らのアカウントを差し出していくシーンにはホロリとくるところがあるし、そこんところはいいなって思ったけど、花札勝負に関しては前述の通り。
 また、延々と高校野球の地方大会が流されているというシーンはすばらしく、それを見ているババアが最後までテレビの前から動かず、また、試合に息子どころか知り合いすら出ていないというのであれば、かなり救いのある映画になったんじゃないかと思えるが、やはり俺は病的なのだろう。