文明をデチューンできないものか?

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どうも、またBooks & Appsさんに寄稿いたしました。よろしければお読みになって、ブックマークでもしていただければましたら。

で、ちょっと話題から離れてしまうので書けなかったことを少々。

「居場所のない人間はどうしたらいいのか」。これです。文明とか科学技術いうものがどんどん発展していったら、たぶんそれを回すのに必要な人間の頭数というものは絶対に減るでしょう。そしたらどうする? という。それこそ、コミュニケーション能力すらなく、これといった技能のない人間の居場所がなくなる。どうしたものか。

 

1.別に人間が減ってもいい

いや、反出生主義者であるという面から言えば、べつに人間は滅んでもいいわけです。優秀で恵まれた人間が優秀で恵まれた人間のみを再生産し(自然発生的な優生主義?)、少数の優秀な人間だけで生きていく。雑用はすべてロボットがやる。そんなもの、生産が続かないから減って人類が消滅する。べつにそれでもいいでしょう。

 

2.夢のベーシックインカム的な楽園が訪れる。

「夢の」ですよ。なにがどこまで現実的なベーシックインカムなのかよくわからない。夢のベーシックインカム世界では、だいたい労働なんてものはよほどの物好きか機械がやって、あとは人間、歌を歌ったり、踊りを踊ったり、ボケーッとしたりして、生きて死ぬ。そうなったら、「人間の居場所」なんてものを考える必要はなくなって、悪くない。だが、夢だ。

 

3.文明をデチューンする

デチューンというのは『頭文字D』という自動車漫画で知った言葉なのですが、あえて性能を落とすということですね。チューンの逆。わざと馬力を落として操縦性を上げるとか、そういう。

で、文明をデチューンできんもんですかね。これも夢か。それでも、大勢の「居場所のない人間」のために、そういう人間が働ける場所を作るために、あえて機械などによる能率を下げる。それで、居場所を作り、いくらかの金を稼ぐ。たとえば、なんか田植え機とか使わない。手植えする。自動改札をやめて、改札鋏を持った人を配置する。携帯電話なんかも多機能で便利すぎるので、単なる電話にする。その分、カメラを作る、売る。ラジオを作る、売る。小さなテレビを作る、売る。メール専用機を作る、売る。

……なんか、思ってたより面白くねえな。それでもなんだろうね、人間が働かなきゃいけないのは食うためであって、それは文字通り食べ物を食べなきゃいけないし、それは金持ちも貧乏人もだいたい同じことだ。だから、農業とか漁業とか、そのあたりをなんとかデチューンする。自分で作ったものを食って生きられるならそれもいいし、野菜と魚を交換してもいいし、物々交換が非効率的であるなら、貨幣を……いかんこのままでは文明が発展してしまう。

っていうか、そんなん、この日本で言える話であって、世界のどこかでは飢餓が起きているわけであって、そこは逆にチューンが必要だ。なんか、いい具合に。

そうだ、世界だ。世界がつながってしまった。食糧自給率とか考えると、この国もこの国で問題があるかもしれない。でも、じゃあ、せいぜい、この国はこの国で育てたり採ったりしたもので食えるようになろう、とか。

それでも、農本主義みたいになったらなったで、農業に向かない人間の居場所はなくなるよな。むずかしいような。シミュレーションゲームみてえにはいかねえな。つーかそうだな、やはり人類を支配するマザー・コンピューターみたいなのが、それぞれの人間に適した職業や居場所に割り振って、どこにも入れない人は福祉で食べてください、みたいな。

とにかくおれにとってはなにか生きにくい時代に生まれてきてしまったというのはあるし、じゃあ昔が良かったかといえばそうともいえず、さらに進んだ清潔な社会が向いているかといえばそうでもなさそうだ。いつの時代にもこういうのがいて、だらだらなんか言ってんだ。虚空に向かってつぶやいてんだ。

というわけで、なんかとりとめないこと書いた。すまん。

 

新装版 頭文字D(1) (KCデラックス)

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 『頭文字D』好きだったんだけど、なんかどっかで読むのやめてしまった。つーか、実家がなくなったタイミングで読めなくなったのか。まあそれほど「いつか最後まで読むぞ」という思いがあるわけでもないが。つーか、今、血湧き肉躍る公道レース漫画とか成立するのだろうか。テスラで峠を攻めたら、どんな擬音が描かれるのかは気になる。