社会のSF的変革って遠くないうちに起こったりするのだろうか?

 

寄稿いたしました。

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「くじ引き民主主義」について。どっかでちらっと見かけて気になっていた考え方。たぶん、今、一般人が手に入る入門書みたいなのは二冊だと思う。

 

 

 

あれ、三冊ある。まあいいや、おれはこのなかで『くじ引きしませんか?』を読んだ。現代政治にとどまらず、古代のギリシア神話からさまざまな思考実験まで網羅している。

たとえば「生命の維持に移植が必要な人が三人いて、その臓器を提供することができるのは一人の場合、くじ引きで犠牲となる一人を選ぶのが合理的ではないのか」(たしか。違うかもしれない)、みたいな思考実験まで紹介されている。

まあそれにしたって、「得票数に応じて当選確率を割り当てられたくじ引きで当選者を決める」という考え方にしたって、ちょっとどうなのか、と現時点では思わざるをえない。支持するものが少数であるのに、全体の代表になるということへの不公平性みたいなものを感じてしまう。一方で、勝者総取りというのが本当に民意の反映なのか? と問われれば、それが完全なものではない、というような気もする。

たとえば、技術的進歩によって代議制ではなく、あらゆる課題について国民投票が行われるようになれば? などと適当な代案なども浮かぶ。おれは、そういう想像は大いにすべきだと思う。現状の政治制度のもとであの党がどうだ、この党がどうだといった政局について考えるのもいいが、そもそもとして、もっといい制度があるんじゃないかと、それを少しずつでも考えていく必要がある。中選挙区制小選挙区制になったように、そのくらいの改良(現代日本小選挙区制が正しいのかどうかはともかくとして)は行われる。

ときには現状から飛躍したアイディアだってあるだろう。しかし、考慮するに越したことはない。そういう意味で、なんらかの「くじ引き選挙」、「くじ引き政治」だって考えてみていいはずだ。課題はあまりにも大きいが、それでも、今が「最高で究極の制度」なわけがないはずだからだ。人間は愚かだから、そんなところにたどり着いていると考えるほうがおかしい。

して、「飛躍したアイディアだなー」と思った制度だかシステムの一つに、ベーシック・インカムがある。いつから出てきた思想で、いつくらいから現実的に論じ始められたのか、おれはGoogleを使って調べてみたりはしない。面倒くさいからだ。

ただ、自分の日記くらいは振り返る。

goldhead.hatenablog.com

だいたい2009年のはじめくらいにこんな記事を書いている。あまりにもベーシックインカムに夢を見すぎている感じがある。現在のおれは、このときのおれよりも精神を病んで障害者になってしまっているし、いろいろな意味で苦境にあるが、それほどベーシック・インカムに夢を見ていない。そのほかの社会保障はどうなるのか? 政府の権力が肥大化しすぎないか? などなど。それでも、否定派ではない。よくわからない派だ。

月間28万円のベーシックインカムをイギリスが2年間試験導入へ - GIGAZINE

いきなりベーシックインカムの話をしはじめたのは、こんな記事を見たからだ。見出しだけ見ると、イギリス全土、全国民対象みたいに見えるが、ごく一部の地域の一部の人に支給してみて様子を見るというだけらしい。それで果たして全国民対象の制度の実験になるのか、おれはあほうなのでよくわからない。でも、実際に実験ははじまっている。たぶん、他国で先行事例もあるだろう。

それだけでもすごい。おれがはじめてベーシックインカムって言葉を知ったときは、夢のような話だと思って、それはもうユートピアじゃないか、単なる夢想ではないかと思ったものだった。それが、「実験くらいしてみるか」というところまできてしまった。今後どうなるかわからないが、一見ありえそうもないことだって、案外そうでもないのかなあと思ってしまった次第。

というわけで、「くじ引き民主主義」だってまったくありえないとは言えないぜ。というか、小さな地方自治なんかでは急速に取り入れられたりするかもしれない。わからんけど。いろいろな科学技術の進歩を眺めるのもおもしろいものだが、社会制度についての進歩や飛躍を眺めたりするのも、まあ悪くないことだ。よくない方へ跳ばないことは願いつつ。