『サラ、神に背いた少年』J.T.リロイ/金原瑞人訳

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 テレビブロスの映画紹介で、この著者のことを知ったのでした。なんでも、娼婦の子どもに生まれ、自らも立派な娼婦になろうとした少年で、その後ドラッグとアルコールにやられているところを保護されたとのこと。そして、半自伝的小説が大ヒット。なるほど、著者の写真を見ると女装が似合いそうな感じです。しかし、その時は「ふーん」と思っただけだったのです。ではなぜこの本を買って読んだのでしょう。その記事を読んだ翌日に、古本屋でパッと目が合ったのです。ちょうど腰を下ろして下の棚を見たときでした。たったの三百円、これも何かの縁だと思ったのでした。
 こんな風にだらだらと購入理由を書くわけは言うまでもありません。「読んで失敗した」と思ったからです。その傷を癒すために、自らにエクスキューズする必要があるのです。本を読むのに成功も失敗も、勝ちも負けもないでしょう。しかし、自分にとってつまらない本を読んでしまうと、「失敗した、負けた」という気になってしまうものです。そして、私は自分の選球眼と勝率にささやかな自信を持っているのです。
 もちろん、それだけに、自分の読書の幅が狭くなっていることも承知の上です。だから、たまにこのように出会い頭の外角球に手を出すこともあります。そして、この球に手を出したのは失敗だった。そう思わずにはいられません。
 なんか、こんな風に書いてしまうと、この本が一文字たりとも読む価値がない、ろくでもないケツアナ作品という感じに見えてくるかもしれません。しかし、そこまでは酷くない。なにせ、ちゃんと最後まで読んだのだし、逃亡シーンなどは活劇的にそれなりにドキドキのドキくらいはしたものですから。それでもやはり、どうしようもない物足りなさが残ったのが事実です。
 別に私は高望みをしていたつもりはありません。リロイならぬエルロイ、ジェイムズ・エルロイの暗黒と悪や、ジャン・ジュネのゴテゴテの倒錯を期待していたわけではないのです。ただ、著者の経歴が本当ならば、単なる身の上話だってつまらなくなりそうもない。さらに言えば、若い人の書いた、最近の話なので、何か新しいもの、見たことのないものが読めれば、と思った程度でした。
 ところがどうでしょう、セックスの描写にゾクっとすることもなければ、執拗に描かれる料理の描写によだれを垂らすこともない。リザード(娼婦)の世界の話に「へぇ」と思わせることもなければ、その世界の住人やその会話に格段おかしさがあるわけでもない。最近の話だからといって目新しさがあるわけでもなければ、描かれる呪術的な南部のイメージに深さがあるわけでもない。主人公の歪んだ愛や欲望に重みがあるわけでもなければ、乾いた淡々とした客観性の面白さがあるわけでもない。どこが売りで、各界絶賛なんだか、私にはさっぱりわからなかった。まさか、著者のルックスじゃないですよね、などと言いたくなってきます。
 私は基本的にも応用的にも「いいところ探し」をしたがるたちなのです。自分が読んだものが、つまらなかったとは思いたくないですから。しかし、これはダメだと思ったら、きっちりケリをつけておかなければ気が済まない。なんでしょう、これは。五千円もするようなテレビゲームがクソゲーだったり、日々の馬券が外れても、これほどの悔しさはない。たかが三百円の古本にもっと寛大な心を持てないのか、とすら思うのですが……。