『都市のイコノロジー』若桑みどり

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 昨夜たまたま職場の本棚にあったのを見つけ、スキャン作業がてらに読み始めた。そして、これが思いの外面白く、一気に読み終えてしまった。どこかの連載をまとめたもののようで、話題も多岐に渡るが、鋭い舌鋒と、時に泣かされるような語り口、思わず夢中になった。雑然とメモ。
「色痴の都市」

(古く伝統的な街の持つ美しさの理由は)まず、色彩上の調和である。次が、形式上の調和である。最後が、人工と自然との調和である。

ひとつの集落が自給自足の原則のもとにつくりだす空間は、必然的に同系色となる。

 山岡士郎は世界中から最高の素材を持ち寄って冷やし中華を作った。しかし、海原雄山が地元の材料だけで作った冷やし中華に劣った。そのことを思わせる(また漫画・アニメ・ゲームかよ)。筆者は東京をはじめとした大都市の醜さを痛罵するが、俺も都会にうんざりさせられる口(id:goldhead:20050820#p1)なので、大いに賛成したい。ところで、ここで取り上げられたのは牛窓という古い街。この街でも、郵便ポストや自動販売機の場違いな色が目立ちはじめているという。最近花屋の店先の緑色の自販機の話の流行るのを見た(http://kawase.jfast1.net/log_0509_2.html#050917)りしたし、元町の郵便ポストは黒色(設置側は紺色と主張)などという話もあるが、まあ、それらは小手先かもしれない。しかし、江ノ島あたりも色彩統一をはかりはじめていたようだし、こういう意識は行政などに少なからず出ているか。しかし、東京は止まらないだろう。俺はフィクションの中のネオンやチャイナタウン、サイバーパンクの混沌は好きだが、東京とは縁無く生きたい。

「私語の世界」

 考えてみれば、戦前、戦後を通じて教室といえばぞっとするほどの画一的な空間でありつづけた。この一方的な空間のなかでは、主人公は教師だ。学生は微小な粒子からなる集合体だ。粒子が全体に責任を持てないのはあたりまえだ。小学校、中学校、高校を通して徹底的に集団の粒子にならされてきた者が突然きみは威厳にみちた空間的に独立した存在だなどと言われても白けるほかない。

 これはもう直截的にずばり自分のことを言われているような気がした。授業中の俺は俺が粒子として存在を消すことに馴らされるどころか、進んでそうありたいと思い続けてきた。そしてどうやら、独立存在からの逃亡をしたようだ。ところで、私語はやはり大教室で起こるという。少人数では逃げられない。俺はそれを体験したことがある。中高一貫校の中一→中二だったか、その翌年だったか、引っ越して居なくなった人がいたらしく、急遽クラスが一つ減ったのである。ぎりぎり一クラスを成立させていた少人数教室から、一気にぎりぎり詰め込めるだけの大人数教室に。少人数、大人数というと大げさなようだが、これはもうそれだけの違いがあった。無論、粒子志向の俺には後者が楽ではあったが、同じ教師が教えるにも前者の方が圧倒的に質が高かったと、心底思った。俺は教育についてどうこう言える人間じゃないが、少人数クラスのメリット面については自信を持って賛成できる。
 ところで、数年前から「学級崩壊」という言葉を見るようになったが、俺はその様子が想像できない。粒子志向は俺ばかりでなく、クラスのほとんどがそうだったと思う。わざわざ楽な粒子でいられるのに、なぜ騒いだりうろうろするのか。俺の居た環境が、あるいはなにか温室的だったのか。それとも、空間が変わったのか?
 ネットはどうだ。ネットの中の私やあなた、匿名ネット住民も粒子なのか。ネットはあまり威厳にみちていない。巨大なプライベートの網の目、絶え間なく響き渡る私語の世界なのか?

土井たか子のイメージ戦略」

私は日本国内と国外では彼女のセールス・ポイントがちがうことに驚いた。

 この文章は1989年当時、社会党のマドンナ旋風(なんという差別語だ!……と言われてしまう)が巻き起こったときのものである。こないだの凋落の姿を見たばかりなので、何やら遠い昔か別の国の話のようにも思える。で、日本では気さくなおばさん「おたかさん」で人気だったが、外人記者の目には教養ある中産階級出身のインテリであり、クリスチャンとなる。

彼女は既成の、できる女のもっているエリート意識、傲慢さ、特権意識、大衆との乖離というイメージを警戒したのであろう。

 一部の特権階級の女性のみが社会進出できるのではないというメッセージにおいて、時宜にかなったものであったという。こうなると、直ちにこないだの選挙で当選した小泉チルドレンたち、すなわち、片山さつき佐藤ゆかり藤野真紀子という面々の姿が浮かぶ。果たして彼女たちのイメージとは……、おすぎかドン小西に聞けばわかるかしらん? あと、井脇ノブ子を忘れちゃいけない。何か雰囲気が社民党みたい……などと思っていたら大間違いもいいところで、鈴木邦男のサイトによれば、民族派学生運動の同志だったという。(http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0919.html)。今回の選挙でもさまざまな新人議員が産まれたが、杉村太蔵ばかり見ていてはもったいないのであった。

続く(かどうかわからない)