油彩描きたし

『ぼくは閃きを味方に生きてきた』横尾忠則

 現代美術の暗示する方向はどうもネガティヴだね。人間の魂の向上や進化には一切興味がないんだ。理論や思想が好きなんだ。天上界が期待しているものと反対のものを認めているんだから、宇宙存在だって悲しんでいるはずだよ。

 先週の土曜日、県内の高校の美術部の作品の集まったような展覧会を見に行った。俺は子どもの絵が好きなことをはかねてより自覚しているが、高校生となるとどうだろう。あまり期待してないで(つき合いで)行ったのだが、しかしなんとまあ、色んな意味で玉石混淆、いくら見ても終わらないほどの量もあって、これは案外楽しめた。横浜トリエンナーレの三倍は面白かったね。これで入場料無料なのだから、まあ横浜に対して貸し借り無しでいいよ。あと、これから俺は随分偉そうなことを書くかもしれないが、俺は平山郁夫の孫弟子だし(幼稚園〜小学校のお絵かき教室の先生が平山郁夫の弟子だった)、母親のマンコから出てきた時には右手に絵筆、左手にパレット、テレピン油を産湯にしたくらいなのだから許してほしい(こちらには根拠がない)。というわけで、いくらか若人の絵が分類できるように思えたので、以下に示す。

  • 初心者的
    • おそらく、高校に入って初めて油絵をやった人のものらしき作品。水彩画っぽい薄さがあって、下書きの鉛筆が透けて見えたりしている。なぜ初心者っぽいとわかるかと言えば、俺が小学校の時にはじめて描いたようなのに似ているからだ。もしも俺がインチキ美術教師として初心者に油絵を指導するならば「1.盛れるだけ盛れ」「2.変な色をたくさん使え」の二点を奨励したい。「らしく」見えるはずだ。
  • 自傷的/廃墟的
    • 前者が女子、後者が男子。この傾向は如実にあったように思える。自傷的なやつは、リスカ、包帯、壊れた人形、血の色などがモチーフで、どことなくゴシック、あるいはゴスロリ的。後者は男の子の廃墟趣味で、やはりAKIRA的な大都市崩壊などが描かれる。
  • 眼球的
    • 思春期のモチーフの最たるものだろうか。大きな眼球、たくさんの眼球。眼に対する過剰なまでの意識がうかがえる。ここらあたり、自分が教科書にした落書きを思い出した。これは男女共通のように見受けられた。
  • 幕の内弁当的
    • これはあるいは課題として描かされたものかもしれないが、キャンバスを小分けにしたような作品が何枚も見られた。一画面をドンと構成するのは難しそうだ。これは上手な作品が多いように思えた。
  • 細密画的
    • 人間の没頭の跡。俺は自分でも細密パターンなどを描き始めると止まらない癖があったのだった。いつか細い細いペンで白い壁のはしからはしまで細密に埋めていきたい。
  • 漫画・アニメ・ゲーム的
    • これはまさにそのもので、美術部というより漫研的な部なのやもしれぬ。技巧に相当の開きがあって、巧いやつなどは賞を貰っていたりした。あるいは将来のプロなのかもしれない。
  • プロ的
    • 将来のデザイナー、イラストレーター的な作品や、このまま横浜美術館に持っていっても俺のような素人には見分けがつかないであろう完成度の油彩。やはり彼らは美大などに行くのだろうと思わせる。
  • 八代亜紀
    • ある意味完成度の高い絵と言っていいのだが、どうも若者が描いたとは思えない絵。モチーフや色調、どうしてもカルチャーセンター的な印象を受けてしかたない感じ。ある意味、裏の裏でパンクなのかもしれない。
  • その他
    • 俺が一番感動を受けたのは、上に分類されない一枚の絵だった。それは、軍艦の絵である。おそらく戦艦大和撃沈のシーンを描いた、戦記画以外の何ものでもない一枚。咆哮する主砲に飛び散る水しぶき、右手からは魚雷を切り離す艦攻、左手にはフラップ広げて急降下する艦爆。俺は何かあっけに取られた。その絵にはあまりにも周りとの違和感があった。だが、それがいい。「俺は軍艦が好きだから軍艦を描くぜ!」といった潔さである。青春の蹉跌なんてものは46センチ砲で吹き飛ばしてやれ、という勢いである。はっきり言って、戦争画としての技巧の良し悪しはわからなかったが、これは有無を言わさぬ存在感。そう思った高校生も居たらしく、生徒推薦で二校から推薦されていたっけな。まあともかく、こういう人がいる限り二十一世紀中盤まではこの手の絵を描く人が居るということだ。新世紀の小松崎茂を目指してもらいたい。

……まったく、偉そうに何を書いたのか。こう、勝手に見に行ってあれこれいっていいのかどうか。しかし、広く県民、いや全ての国民に開放されている展覧会を見たのだ。だからいいのだ。ということにしよう。どうせ誰も読まないしな。