『ポポイ』倉橋由美子

ASIN:4101113149
 倉橋由美子さんの作品を読むのは、『夢の通ひ路』(id:goldhead:20051116#p3)についで二つ目になります。クリスマス・イヴの夜に、人の家の本棚からこつそり抜き出してきました。クリスマスだから、ということは全くないんですけれども。
 私、てつきりこの人は歴史的仮名遣ひしかおつかひにならないと思つてゐたのですが、これはラジオドラマの原作になつたとかで、現代仮名遣ひになつている。しかし、その事が記された解説には、倉橋さんから送られてきた原稿のことが書いてあつて、それは歴史的仮名遣ひなのですね。これはとても惜しいことのやうに思へるのですが、出版も一つの商売なのですから、致し方ないところもあるのでせう。とはいへ私、現代仮名遣ひの石川淳の文庫本を読む位なら、日刊ゲンダイを読んでゐる方が百倍ましだと思ひますよ(本当は私、内外タイムス派なのですけれど)。
 さて、『ポポイ』。これはSFでありながら倉橋由美子の世界(と偉さうなことを書けるほど知らないのですがね)なのですから驚ひたわけです。大物政治家であつた主人公の祖父のところへ押し入つて、三島由紀夫みたいに切腹介錯された少年。これが、科学の管につながれた‘逆脳死’の存在となつて生かされる。この生けられた少年の世話を、主人公の舞が世話をする。ちなみに舞は桂子さんの孫娘なので、どこかしら繋がつている世界なのでせう。
 で、倉橋由美子が首だけの美少年を描くとなれば、それこそギュスタアヴ・モロオのヨカナアンにでもなりさうなものですが(むろん、さういふやうな美少年でもあります)、これがきちんと生命維持装置と脳走査装置と口内に小型のキイボオドがついた、極めて近未来的な存在なのですね。ネツトワアクの描かれ方なども、作品が記された時期から考へると、予言的な正確さを持つているやうに思へます。ここらあたりの慧眼には畏れ入るばかりぢやありませんか。
 ああ、しかしなんでせう、私はあのNHKの番組を見るまへに、この本を読んでおきたかつた。あの番組とは、立花隆の最先端科学の番組です(id:goldhead:20051105#p1)。頭だけのポポイが全身の幻肢を獲得していくといふこと、脳の中でだけejaculation(カタカナで書くのはだうも面倒さうだ。要するにこれ、射精のことなのですが)すること。人間を人間たらしめるところの脳、そして身体とは何であらう? Wittgensteinの名前など出てきますが、あいにく私は哲学オンチで全くそのあたりは想像もつかないのですがね。
 あと、忘れてはいけないのは、やはりこのエロチシズムでせうか。前述のラジオドラマといふのは、NHKラジオで放送されたものといふので多少控へめなのかもしれませんが、これがまた実にいいのですな。ほんのわづかな幾つかの場面なのですが、ずんとくるものがあつて、いやはや参つてしまふといふのが正直なところです。
 最後に、タイプするのが面倒なところを引用しておきませう。dilettanteな祖父との筆談(今風にいへばchatかしらん)からです。

 例エバ、神、私、宇宙、意識、存在、生命、真実、自由、永遠、救イ、平和、超越、死、再生、メッセージ、人間、世界、善悪、正邪、美醜……ソレニ比喩的表現ノタメノイクツカノ具体的ナモノヲ指ス言葉……ソレダケアレバドンナ神秘思想デモ語レル。コレラノ言葉ノ任意ノ組ミ合ワセハ、本来情報トシテハ無ニ等シイ綿飴ノヨウナモノダトシテモ、人ハ自分ノ体験ニ照ラシテ、時ニハソコカラ無限ニ豊富ナ情報ヲ読ミトルコトモノアルノダ。

 何と辛辣な指摘。今後さらに電脳と義体の世界になつていき、人間存在とはなんぞやなる問ひかけが提示されたときも、かういふやうな言葉が乱れ飛ぶのでせう。しかし、あるのは比喩表現のためではない具体的な首といふわけです。その残酷さもこれは書ききつているのですよ。
 しかし、何とも作品の優雅さを感じさせない感想文ですね。こればつかりは首だけになつてみることくらいしなければかはらない、生まれもつての気質のやうなものでせう。

関連:作中に出てくる‘クラナッハの『ユディット』’は、これ(http://images.google.com/images?svnum=10&hl=ja&inlang=ja&lr=&ie=Shift_JIS&safe=off&c2coff=1&q=judith+cranach)のことだらう。嫌な具合に壮観といつたところだが、数パターンあるのだらうか。剣の傾きが小さい方がそれであると思ふ。クラナツハはたしか、澁澤龍彦が好む画家だつたやうな気がする。