トリノ五輪:スキージャンプ個人ノーマルヒル

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 スキージャンプは12日、個人ノーマルヒル(HS106メートル、K点95メートル)決勝が行われ、日本勢は伊東大貴土屋ホーム)が18位、葛西紀明土屋ホーム)が20位、岡部孝信雪印)は23位だった。

 この競技に関しては、予選だけ見た。予選だけ見て、原田雅彦の失格に驚いたりした。その後、マスコミの報道なども原田メーンといった感じで、やはり原田はドラマチックな男なのである。
 で、その失格の原因は体重-200gという、ボクシングか何かかというルールによるもの。身長、体重などからスキー板の長さを算出する方式なのである。いやはや、これにも驚いた。
 こうなると、やはり長野五輪などで日本ジャンプ陣の活躍を見てきただけに、「日本を狙い撃ちにしたルール変更だ!」、「黄色人種を差別する毛唐どもの陰謀だ!」と思わず思ってしまうのも、我ながら無理はないと思う(思ってばかりだな)。それで、こうなるとバサロなんて単語まで頭をよぎったりして、「松岡外相を見習え! 脱退だ!」などとわけのわからないナショナリズムが頭の中に台頭しかねない。
 往々にしてこうした愛国心が沸き上がるのは、我が国を「犧牲者―破壊されるかもしれず、そしてわれわれの同情を必要としている、脆い善いものというイメージ」と見なすときという(……イーフー・トゥアンの本からの一節だが、シモーヌ・ヴェイユからの引用らしい)。帝国的な愛国心でなく、より地域性に密接した愛国心。そして、日本は小国であるという意識は、その自己憐憫に近い何かを投影するに、格好のサイズであるようにも思える(あと、個人的にチビなので、幼少のみぎり地図を見せられ、この小さい日本が大きなアメリカと戦ったんだ、と初めて教わったときは、妙な興奮を覚えた。それは今もってうち消せない、俺の日本国に対するベースとなるような感傷だ。けど、日本ってアメリカやソ連、中国に比べりゃ小さいが、全世界的には大きめの国だよな)。
 しかし、そこにとどまっていて愚痴っていてもあまり面白くはないのも確かだ。確かに白人貴族の遊戯(近代オリンピックのアマチュア主義は、反商業主義のようなものではなく、貴族が労働として肉体を使う「プロ」を軽蔑したことが由来だったはず)に乗り込んでいったのはこっちの方だ。だったら、ルール改正も何も知恵と根性で跳ね返してやる。それが大和男の子の心意気だ!……とやってほしいもんなのだ。
 さらにいえば、あまり「日本に不利なルール改正」を連呼するのもどうかと思う。だいたい、国際スポーツなんてのは不完全な人間世界でやるもんなのだから、絶対的な神様や宇宙人がチェアマンにでもならない限り、公平公正なんてのは成立しない(その神様を認めるかどうかでアーマゲドン的一悶着あるかもしれんが)。だったら、そこでの綱引きも競技のうち。言いたいことを自重するのが日本の美徳かもしれないが、それで不利を食って愚痴るのは後ろ向き。「脱退!」とはいかなくても、手を尽くしてルールに抵抗したのかどうかとか、そういうところを見逃しちゃいけない。
 それともう一つ、今回のジャンプ陣の年齢。ベテランたちと、間が開いて20歳の。間の脂ののった時期の選手がいない。これは、雪印の不祥事や、不況による企業チームの廃止が影響して、その世代の層が薄くなっているせいという。これは純粋な国内問題だ。こういう原因も見過ごしちゃいけないように思える。
 えーと、何の話だっけ。ジャンプか。原田はラージヒルに登録はしたらしいな。もしも出るようなことがあったら、心の中で複勝馬券を買って応援したい。良くも悪くも何かをする男なら、次は「良い」の番かもしれないからな。