突然の終幕

http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20060327-12184.html

 地下鉄、松本両サリン事件など計27人が死亡した13事件で殺人罪などに問われたオウム真理教麻原彰晃被告(51=1審死刑、本名・松本智津夫)について、東京高裁は27日、弁護側が期限内に控訴趣意書を提出していないことを理由に、麻原被告の控訴を棄却する決定をした。

 一審の初公判から実に十年。当時十歳のガキが、今じゃ立派に元服している年月。いっぱしの口を利く中学生や高校生も、オウム事件当時はどれだけ事件のことがわかっていたか。そして、いっぱしの口を利きたい俺も、果たしてオウムをどれだけ覚えているのか。
 俺は高校生だった。麻原逮捕後に、小さな本屋のムックコーナーでオウムの広報誌「ヴァジュラヤーナ・サッチャ」を見つけた。俺は迷わずに買った。これは貴重だぞ。学校で見せびらかしていたら、世界史の新人女性教師が「仏像とかに興味があるの、貸してくれない?」と。あらためて言うが、事件後の話だ。そして、男子校で生徒みんなになめられた(肉体的な意味でなく)女性教師は、悲惨だ。俺は、一瞬だけ迷って、貸した。本は返ってきたが、その後の彼女のことは知らない。
 そして、この幕切れである(繋がっていないような気がしてならない)。遺族・被害者にとっては「とにかく早く刑の執行を」と望む思いもあれば、「麻原の口から事件について聞きたかった」という思いもあるだろう。しかし、いずれにせよ時間のばしの法廷戦術が不発に終わったように見えるこの結末(まだ最終的なものではないが)、いささか妙な終わりかたのように思える。しかし、裁判はいたずらに長すぎた。
 裁判員制度が導入される。オウム事件などは当然「国民の関心の高い重大事件」(http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/c2_1.html)である。となると、こんなに長いのも担当したら担当しなきゃいけないということか。やはりそのようだ(http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/c2_2.html)。しかし、制度にあわせて裁判の迅速化も謳われているようだ。まあ、いずれにせよ裁判員に選ばれる確率を考えたら、宝くじの払い戻しの皮算用をするようなものかもしれない(たとえが不謹慎かな)。
 思い出話のようにオウムのことを書いたが、「アーレフが存続している」とは別の意味で、まだ現在進行形のような気がするのだ、本当は。オウムの無差別大量殺人以前/以後で日本社会が大きく変わった、という思想家もいるくらいだが、やはり何かしら、あれはあの時代の、この時代の何かで、その時代に生きる以上は、どこかしら無縁ではいられないのかもしれない。しかし、びっくりドンキーの株式会社アレフは、オウム真理教及びアーレフとは無縁なので、その点ははっきりさせておくべきなのだ。