光定戒牒

 嵯峨の書は、空海の影響をつよくうけている。
 とくに延暦寺蔵の「光定戒牒」は嵯峨の真蹟であるとされるが、王羲之流の端正さを脱し、空海の「風信帖」が一行のなかにも突如書風を変えた文字を挿入して変化を楽しませるのに似て、優美でひろやかな境地をひろげているかと思うと、急転して木強の妙へ変化するなど、ほとんど音楽的とまでいえる印象をあたえる。(下巻P336)

 上のトリビアの話ついでに『空海の風景』をパラパラめくっていて出てきたのが、この箇所である。「光定戒牒」て、こないだの土曜日に見て感銘を受けたあれ(id:goldhead:20060417#p1)じゃないですか。なるほど、さすがの司馬遼の表現で言えば「音楽的」か。至極納得。しかし、この件をしっかり覚えておけば、「うむ、これは空海の影響を受けた嵯峨天皇らしい書風だね」くらいのことをうそぶけたのだが、別にうそぶく必要はないか。ただ、空海のにそういうのがあったとか、そんな話はしたと思う。ふーん、しかし、貴重なものを見られたものだ。
 ちなみに、最澄の真蹟として同書に挙げられているものの六つのうち二つまでも、同展覧会で見ることができた。司馬によると伝教大師の書は以下のようである。

 いずれも気品に満ち、ながめていて心が洗われるような思いがする。しかし、書風はいかにも単純で、奈良朝以来の王羲之流からはずれることがなく、王羲之の模倣というよりも、ここまで堅牢に書風が確立すれば、これらの文字は最澄その人というよりほかない。(下巻P331)

 というわけで、さまざまの筆と書体と書風を駆使する空海とは、やはり対照的な性格を見せるようなのであった。ところで、俺自身が伝教大師の書を見た感想はというと、丁寧だナと思わせるばかりであって、ここは王羲之流も何も分からぬ無知のせいか、あるいは洗っても洗っても薄汚れた心しか持ち得ぬせいないのかはわからない。