『草の竪琴』トルーマン・カポーティ/大澤薫訳

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「わたしたち誰にとっても、落ち着く場所などないのかもしれない。ただ、どこかにあるのだということは感じていてもね。もしもその場所を見出して、ほんのわずかの間でもそこに住むことができたら、それだけで幸せだと思わなけりゃ。この樹はあなた方にとってそういう場所なんですよ」

 カポーティイノセンスとセンチメンタルにあふれる少年時代もの。買っておいて、読むのを忘れていたことに気付いた。で、こないだ読んだ『叶えられた祈り』(id:goldhead:20060801#p1)が、男娼会社の面接で痔持ちなので入れられる方は駄目だとか、そんな話だったのだから落差は大きい。あるいはこちらがアンファンテリブルとしての本領発揮か。
 でも、文学論とか難しい話はわからんが、カポーティは目に見たこと、感じたことを書いてるだけってようにも思う。彼が、『叶えられた』の冒頭で分身に吐露させていたように、早いうちに田舎に引っ込んでいたら、こういう路線だったかもしれない、とか。で、『冷血』(読んだのはずっと前だ。最近の新訳版<ASIN:4105014064>は佐々田雅子。どんな人かは知らないが、ジェイムズ・エルロイの、あの『ホワイト・ジャズ』を訳した人だ。こうなると、新訳版も読みたくなってくる)で、死刑囚を見れば死刑囚を、セレブの怪物たちを見れば怪物を。それだけじゃないのかとか。もちろん、文体なんかもそれによって変わるけど。
 で、これ、やっぱり自然の描写とか、誰だったか、小説は形容詞から腐るとか言ってたけど、この本については心配御無用。カリカリでキラキラの仕上がり、それでもって馥郁たる美しき香り。
 それで、えーと、ストーリーも、「その日」を境にがらっと姿を変える、まわり、自分。我々が知らぬ間に過ごしてしまう、あるいは、ある日、ある日々を凝縮したような。初恋や、年上の少年へのあこがれとか、まあ、そんなところで。