『あしたのボクシング』No.2

ASIN:4861911923
 私には人には説明しがたい嗜好があります。決して変態趣味やそういったものではなく、あるいは「外したばかりの女性のブラジャーの匂いを嗅ぐのが好き」などというものならば説明もできるのでしょうが、いや、これはあくまで例に過ぎないのですが。……えーと、説明しがたい嗜好に話を戻します。こればかりは説明しがたいので、とにかく要素を羅列してみます。

  • 膨大な固有名詞があること
  • 二つ名や異名があること
  • ある規格下にあること
  • 分類がなされていること
  • 公式の記録があること
  • 細かい数字の記録があること
  • 逸話が尽きないこと

 ……自分で書いていても整理がつきません。しかし、こういったものに惹かれます。こういったものフェチです。具体的に言えば競馬がそれにあたります。膨大な固有名詞と記録が重々帝網の世界を作り上げている。私の嗜好に競馬以上に合致するものは、ちょっと想像がつかない。いや、プロ野球も匹敵するでしょうか。本当に細かな記録の残る世界。膨大な選手たちに偉大な伝説。あるいは、将棋。これも同じです。逆にサッカーなどは数字に表される部分が少なく、逸話や二つ名を満たしていても、ちょっとのめり込めない。
 こう書くと、どうも記録フェチ、レコードマニアのようにも見えそうです。しかし、それだけでは不十分。はっきりした記録をベースにしたものだからこそ、記憶に残るものがある。そして、語られざるものとして語られるものがある。それもたまらない。
 というわけで、ボクシング。かなりの部分でこの嗜好に合致するところがある。最近それに気づきました長い歴史に膨大な選手、偉大な記録。元から人が人前で殴り合ったり、蹴り合ったり、絡み合ったりするのを見るのは好きなのですが、ボクシングにはこのいわく言い難い嗜好に合致するところがある。総合格闘技K-1では満たされない部分があるのです。

「ボクシングの素晴らしいところは戦績、レコードがしっかりしているところですよね。これはボクシングの財産でしょう。批判するつもりはまったくありませんが、K-1やPRIDEのような新しい格闘技との違いは、一つひとつの試合の重さだと思うんです」

 と、やっと小見出しのムックの話(ここから急にですます調やめ)。これは冨樫光明というリングアナウンサーのインタビュー記事から。そうだよ、その点なんだよ。何度も書いたが、K-1やなんかは、試合前に凝った煽り映像を流しはするが、全成績どころかK-1での勝敗すら出さない。近五戦程度の結果も表示しない。もちろん、記録が散逸しているなんていうことはないから、記録を軽視しているということ。その姿勢に、自分自身を格闘技ファンと言えるまで共感させない何かがある。もちろん、個々の団体ではボクシングのようにきちんとされているのかもしれないが、今度は厚みが足りない。新しいのだから仕方ないが、そういうところもある。
 ついでに言えばこのリングアナ、二つ名をコールに取り入れるなんていうあたりも俺の嗜好に合致する。‘日の丸特攻隊’、‘マイルの雷神’、‘センバツの花’、‘番傘打法’、‘神武以来の天才’、‘光速の寄せ’、そして‘浪速の闘拳’……。
 そうだ、表紙が亀田興毅だった。「亀田の亀田による亀田のため、だけじゃない偏愛拳闘本」と銘打たれてはいたが、いやはや、やはり亀田の内容が多い。亀田そのものでなくとも、記事や対談の端々に出てくる。それだけ影響力が大きいのだろうが、やはり亀田の本かな、という気がしてしまう。
 インタビューは対談記事はどれも面白かった。ここらあたりはあまり一般向けに開いていないところがいい。俺は言うまでもなくボクシング門外漢だが、門外漢にとって面白いのは密度の濃い話だと思う。そして、安部譲二安部譲二 の語りが一番面白い。記憶と記録の絶妙なバランス。尽きない逸話の世界。いやはやたまらん。
 たまらんといえば、表紙の紙のマットコートのさわり心地もいい。さわり心地もいいが、この本を書店で見つけて買ったわけではない。アマゾンで買った。アマゾンで買うのに、1,300円というのは微妙だ。1,500円なら送料無料で迷いなく買える。レノックス・ルイスの評伝のようなものをあと一つ二つ増やして1,500円、みたいな。しかし、ムックは1,000円以上するものだったか。俺が初心者のころ、競馬の手がかりとなった別冊宝島の競馬読本シリーズはいくらしたのだっけ。しかし、ムックなんて買うのもずいぶん久しぶりだ。
 なぜ買おうと思ったのだっけ。そうだ、「全17階級ダイジェスト」があるからだ。最近、ウィキペディアでボクサーの項目を辿り(対戦相手からまた別の選手へ。あるいは前王者から次王者へ。文字通り「辿れる」のがネットのいいところ)、つらつら眺めるのが好きなのだ。でも、どうも全体像がわからない。それを俯瞰したい。そのために買ってみたのだ。俯瞰像、やはり掴める物ではなかった。できれば、各団体のその時点のランキング網羅があってほしかったが、変動が激しいのか難しいか。
 というわけで、本など買って俺も明日からボクシングファン……にはなれないな、やはり。会場に行く金もなければ地上波以外を見る金もない。たまに横浜文化体育館の前を通るか、毎日のように‘一瞬の夏’カシアス内藤のジムの前を通るくらいしか縁がない。たまに固有名詞を見て密かな嗜好を満たすくらいのつきあいになろう。