ボクシングは勝ったのか?

 ちょっと、競馬あまり知らない人がディープインパクトについて語るみたいで(……って、何度も書くけど、俺はそれ、大ウェルカムと思うからね。ただえーと、俺が他ジャンルにそれをしてウェルカムは求めないというか、こんな他者不在の日記で気にすることじゃあねえけど)、亀田の試合について自分がボクシングについて語るのは気が引けるけどさ、やっぱりメモしておこう。
 内藤大助がさ、試合後にガーってなって、コーナー登ったじゃん。あれさ、いろんな感情がワーって吹き出たもんだと思うけどさ、俺が一番感じたのは、「怒り」じゃねえのかって思った。大切なボクシングをさ、汚されたって、そんな気になったんじゃないのかって、少なくとも俺にはそう見えた。一年に144試合やるわけでもない(……と、書いた後に思ったが、全団体全階級合わせたら……やってるかも。ええと、たとえばWBCのフライ級では、と)、大切な世界タイトル戦、自分のボクシング人生の、貴重な一戦、それがこんなになってしまった、こんなにされてしまった憤り、それだったんじゃねえのって。
 でも、そのあとの内藤は大人だったな。インタビューの差、思ってたよりパンチ当たらないってのは、それなりの本音なんじゃねえかって。もちろん、偉大なるポンサクレックに比べたらむちゃくちゃ弱いってのも大本音だわな。
 しかしさ、なんかプロレスみたいな見方になっちゃうかもしれないけど、ボクシングは相手あってのものだなあって。ポンサクレック戦の内藤と今日の内藤では、ぜんぜん別物……とまでは言えないけど、やっぱりそりゃ違う、違うことにならざるをえない(サッカーとかでも感じるけどね)。
 ともかくスタミナと打たれ強さだけ強化した若い衆が、頭からずるずる突き進んで、すきあらば頭突き、チョーク、投げ、極めを狙ってくるのだから、それは大変だ。しかも、レフェリーはそれを取ってくれない。できることも限られてくるだろう。だからたとえば、これを見て「内藤ってすごいな、チャンピオンすごいな、ボクシングすごいな」って思った人が、どれだけいるのかってところじゃないかって。そういう意味で、やっぱりここは亀田の世界になってしまったんじゃねえかって。亀田の自爆、自滅、切腹劇場。「皺だらけのおじいちゃんはあの方法で倒せるけど、チャンピオンは無理じゃん」止まり、下手すれば「K.O.できねえの情けないじゃん、チャンピオン」になりかねない。
 けれどもやっぱり、俺は内藤は勝ったし、ボクシングは勝った、判定で、と思う。亀田もさ、こんだけ注目集める以上、それなりの何ものか、ろくでもないにせよ、それなりになんだよ。それで、それなりの何かに、きちんと答えを出した、これは喜ばしいことじゃないかと思う。ただし、判定は判定だ、と(いや、もちろんボクシングという競技において、判定は正真正銘の勝利。それに俺、ボクシングについては長く見られるから判定の試合がいいです。あるいは11R、12Rでノックアウト)。
 じゃあさ、ボクシングが完全ノックアウトで亀田に勝つってどういうことだろう。それは俺さこう思うんよ。青くさくてしょうもない話だけどさ、亀田の連中がさ、3兄弟が改心することじゃねえかって思う。「あかんでオヤジ、こんなんやっとってもしょうがないんや。もうボディスラムの練習はしとうないんや! ワイは……、ボクシングがしたいです」って言ってさ、あのオヤジ、12R2分10秒くらいに「投げろ!」って叫んだと思しき(※アップ前確認……追記、それよりももっとすごい指示がはっきりとわかる形でなされていたね。叫び声だと、声の大きい観客とかの可能性も捨てきれない)、あのオヤジと決別することだよ。
 それでさ、「ピンポン玉も飛んでけえへん、いったいどう練習したらええんやろな……くっ」って途方に暮れたところに、「ミット打ちくらいならつきあうぜ」って現れるのは、鬼塚勝也。「まだ、始まってねえよ」って鬼塚。夕暮れの空き地に響くミット音、「どんなもんじゃーい!」の声。そこへフードを目深にかぶったロード中のボクサーが通りかかる。その光景を見て、「フン、100年経っても追いつけないぜ」って、顔が覗いて内藤。フェードアウトする街並み、暗い画面に未完の二文字。
 ……どうよ、これがボクシングの勝ちよ。ああ、でもさ、俺の脳内に展開したそいつは、どう考えても亀田興毅の方。亀田大毅はどこへ行ったんじゃろ? 切腹した? 三男はなんかどうなるか想像がつかない。あと、今回の試合で、一番人生のせつなさを見せたのは鬼塚と佐藤修だと思った。人が生きて、仕事をして、飯を食うということは、どんなものか、と。